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牧師夫人の徒然なるままに(六八五)「共に同じく分け合わなければ」(Ⅰサム30・24)

 Ⅰサムエル記三十章には、ダビデがアマレク人の略奪隊から、すべてを奪い返したことが記されています。その時に、ダビデに従っていた六百人の部下のうちの二百人は疲れ切って、戦地に向かうことが出来ませんでした。彼らはベソル川のほとりにとどまって荷物の番をしました。ダビデと同行した四百人の部下たちは、取り戻した分捕り物を携えて意気揚々と戻ってきました。そして、その中には「一緒に行かなかったものには分け前は与えない」と主張する者もいました。
 その時にダビデは言いました。「主が私たちを守り、私たちの手に渡されたのだ。戦いに行った者への分け前も、荷物の傍にとどまっていた者への分け前も同じだ。共に同じく分け合わなければならない」
ダビデは常にすべてをつかさどっておられる主のお働きを意識していました。この時の勝利も主の勝利でした。だから、分配も主の御心で成すべきでした
 けれども愚かにも、人は、必ず手柄を自分のものにしたがります。私たち人間の一番の罪は「私が私が、私がしたのです」と成功は私のものにしたがるのです。そして、「あいつが、あいつのせいです」と失敗した時には責任の転嫁をするのです。
 ダビデは天のお父様が公平なお方で、同じように恵みを給うことをよく知っていたのです。

安食道子

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