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「牧師夫人の徒然なるままに」(八四一)「アブラハムの視点」その2(創世記一三章)

 さて、生活圏を分離することになり、ロトは自分で選んだ地へ移動しました。残念なことにロトが選んだ地に住む人々は、よこしまな人々でした。聖書には「ソドムの人々はよこしまな者で、主に対しては非常な罪人であった」(13節)と書かれています。

 もし、ロトの選択が逆だったらどうなったでしょうか。恐らく、幾多の困難を経験することにはなったでしょうが、たとえソドムに住んでも、アブラムなりの人間関係を築いていった可能性はないでしょうか。

 私の周囲を見回してみても、対人関係は必ずしも環境だけで決まるとは思えません。同じ困難な局面に遭遇しても、いつもそれを明るく克服できる不思議な人がいます。逆に、困難を他人のせいにし、愚痴をこぼしては敗北感を味わい続ける人もいます。

 何が両者の違いを生むのでしょうか。その人の持って生まれた性格もあるでしょうが、クリスチャンとしての視点で申し上げるなら「神への信頼がどれほど大きいか」に因るのではないかと思うのです。

 ロトと別れて後、神は再びアブラムに、目を上げて東西南北を見よと言われました。そしてすぐに「私はあなたが見渡しているこの地全部を永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう」と。「この地全部」にはソドムの地も含まれていることに私はハッとしました。 

安食道子

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