牧師夫人の徒然なるままに(七〇三) 「我慢し、信じ、期待し、耐え忍ぶ愛」(Ⅰコリ13章)
先日、旧友の父上の書かれた書物を貸していただきました。その中にタゴールの詩が引用されていました。医師会長さんとして看護学校での戴帽式に祝辞を述べられた時に引用されたのです。
「なぜに燭(ともし)が滅(き)えた
風を避けようと思って
私の外套でおおってやったので
それで燭が滅えた
なぜに花が凋(しぼ)んだ
気づかいがちな愛の心から
私の胸に抱きしめたのだ
それで花が凋んだ 」
いざ、看護師として、現場に出向く若い魂に、この御父上は「愛は必ずしもいそいそと手を差し伸べることだけではない」と伝えたかったのです。見守りの大切さを教えたかったのだと思います。
私も若い時に痛い経験をしました。足の不自由な方が荷物を持って、高い階段を上っておられる時にお節介にも手を出したのです。そのためにその方はリズムを崩して、転倒してしまいました。
子どもの成長に、この姿勢は大切です。手出しをしたい気持ちを抑えて「見守る」ことが必要なのです。
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