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牧師夫人の徒然なるままに(六五七) 安食道子 「あなたは私を信頼しますか」(その2)

 ブロック麻酔からなかなか醒めやらぬ間、私の心をかすめた不信感は、波のように私の思いを浸食し始めました。そんな時こそ「祈り」が必要です。幸いに私は僅かながらその信仰を持っていました。
 思い返せば、その時に私が祈ったのは「癒してください」よりも「H先生を信頼し続けられるようにしてください」でした。偉そうな態度かも知れませんが、創造主への信頼はしっかりと持っていたように思います。もし、このまま麻痺状態でいることが最善の御心なら、それでもいいとさえ覚悟していました。ただ、嫌だったのは信頼しきっていた人に対するいとも簡単な私の裏切りです。そして、確信していました。「こんな不信感は悪魔の働きに加担することに他ならない」と。術後にこにこと笑顔で「すべてが順調にいきましたよ。骨もしっかりしていました」と語りかけて下さったH医師の顔と言葉を思い返しつつ、心を蝕もうとしている「疑いの思い」を追い払いました。
 退院を二時間前にして、足の指先が僅かに動きました。そして、三十分後にはみるみる麻酔が溶けて歩行が可能になりました。
 私は自分に起こった疑いの心を深く恥じています。信頼していた人を疑うのは罪人の証です。信頼の本質とは「たとえそうでなくても」なのです。(続く)

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