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「牧師夫人の徒然なるままに」(八二七)「地上に残すものとは」(その3)

 皆さんは、この地上に何を残しておきたいですか。親族や友人の死を見届けながら、私自身もこの問いを心に繰り返してきました。目に見える品々を残そうとすればするほど、地上生活への執着は深まるものです。

 書き記した原稿の数々、自分の成長のためにと記してきたデボーションの日記、何度でも読み直しておこうと手元に置いてきた愛読書の数々、いつか演奏したり歌ったりしたいと思った楽譜の数々、それらは、もしこのあと百年生きられたとしてもじっくりと見返したり味わって読み直したりできる分量ではないでしょう。しかも、年々知力の衰えは自覚せざるを得ませんから。

私はそれらを、できるだけ、生前に処分しておきたいと思っています。息子世代に迷惑をかけたくないからです。そして一番の理由は、それらが、地上の生涯に残しておきたいものではないと私にはわかっているからです。火をつければ燃えてしまう品々の中に、私は自分が生存した証を残そうとは思いません。

私がこの地上に残したいものは、天国にまで携えて行けるものです。それは、おそらく第一コリント書13・13に記されている「信仰、希望、愛」です。いつまでも残るもの、永遠に保存される資産です。しかも地上の人々に継承してもらえるものです。 

安食道子

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