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牧師夫人の徒然なるままに(七二五) 「自分の十字架を負って」Ⅳ(マタイ16・24)

 他人と違っていることは決して悪いことではありません。違っていて当たり前なのですから。なぜなら、私たちは誰もが創造主の「作品」であって大量生産された「製品」ではないのですから。
 しかし、個々人を「作品」と認めながらも、はみ出した人を批判し、弾き飛ばそうとする風潮はどこの世界にも見られることのようです。 
 多くの場合、はみ出しは前向きな個性に繋がります。そして、周囲の応援如何では、朗らかに笑い飛ばせる結果をもたらすことも多いのではないでしょうか。
 私は自分の人生を振り返って、思うことがあります。皆さんも高校時代に進学に向けて「理系か文系かの選択」を迫られたことがあるのではないでしょうか。私もその時に適性検査をしましたが、どちらも同じ比重でした。どちらとも決めかねる判定だったのです。何かに秀でるということもなく、要するに平凡でした。その時に、極端にどちらかに偏った判定を得た級友をとても羨ましく思ったものでした。
 秀でること、はみ出すことは祝福でもあります。それを伸ばせる環境が整いますように。そしてまた、秀でた部分が目立つ分、隠されてしまっている目立たない部分が、時には自分が負わなければならない十字架であると自覚させられることがあるのかも知れません。

安食道子

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