「牧師夫人の徒然なるままに」(八一一)「むなしいものを見ないように私の目をそらせ  あなたの道に私を生かしてください」(詩119)

 六十歳を超えたあたりから、おぼろげながらも、残りの人生をどのように生きるべきか、どのように最期を迎えるべきかなどを考え始めるようになりました。
 時の流れの中でこの課題はますます真剣な問いかけになってきています。
 尊敬する信仰の先輩がいらっしゃいます。若い時から、ひたすらにイエスさまのために教会に仕え、家庭で仕え、信仰の証を続けてこられました。その方をお訪ねすると、和らいだ雰囲気の中、心のこもったおもてなしを受けます。訪問者に安らいでもらいたいという配慮に満ちています。肉体的な制限を超えた信仰による身の軽さ、しなやかさをお示しくださいます。彼女は決して問題を抱えていないわけではありません。お体の不調や、お独り住まいの寂しさや不安もおありでしょう。けれども、そんな困難の中にあってもなお、平常心で「主の道」を歩むことで証をされています。

 私たちは、身近に困難がもたらされると、とかくそのことに心が奪われてしまい、「これが片付くまでは何もできない」という気持ちにさせられます。そしてご奉仕も、人との交わりもそのことを理由に取りやめたりします。私は、この信仰の先輩の様にたとえ何が迫り来るとも、主の道を全うしたいです。祈りつつ。

安食道子

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