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牧師夫人の徒然なるままに(七七一) 「誰に対する罪?誰の赦し?」その2

 ルカによる福音書の一五章にある放蕩息子のたとえ話で、息子は我に返った時に言います。「私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました」と。「天に対する罪」とはとりもなおさず「創造主に対する罪」です。
 進化論の信奉者には、理解の出来ないことかも知れません。彼らが罪を犯したとしても、謝罪の対象として思いつくのはせいぜい被害者までだからです。
 数年前に学生時代の友人から一冊の本が届きました。「甦った人」(ある死刑囚の証したこと)と題する書です。久保徳造さんという死刑囚が、イエスさまと出会ってから変えられた人生の証の書です。死刑囚としてその執行を待つ身であった彼は、死への恐怖にのたうち回るような日々を経験します。けれども、イエスさまに出会い、恐れと苦しみをその十字架の背に負ってくださったことを知ってから、彼の生き方は劇的に変わりました。被害者への謝罪も新たになりました。罪を赦す権威をもつ唯一の方に出会ったからです。
 「主によって目を開かれた時から、肉体の自由があった時より、はるかに大きな世界があることを知りました。そしてそれは永遠に続いていくものです」と彼は綴りました。
 赦しの権威は、このお方にしかありません。

安食道子

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