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牧師夫人の徒然なるままに(七四三) 「偶像?芸術作品?」(その5)

 もしあらゆる芸術を「偶像」とみなすなら、この世は本当に殺伐としたものなってしまうでしょう。

 原理主義者たちは、偶像礼拝を禁止しようとするあまり、極端に走り、芸術の背後にある「人という被造物」のありのままの姿をも否定してしまっているように私には思えます。

 美しい絵には美しい心の作者の存在があります。絵に感動すると同時にその絵を描いた作者をお造りになった創造主を素晴らしいと思います。音楽についてもその他の、あらゆる表現活動についても同じようにとらえるべきではないでしょうか。

 私の孫はきれいなものや、心を動かされるものに出会うと、必ずそれらを「描く」ことで感動を表します。「グランマ、早く紙と鉛筆持ってきてよ!」と要求します。彼を見ていると、創造主は人の心に「思いを形に表したい」という欲求を与えられたのだなあと思わされます。孫の場合には「絵」であらわすことですが、詩や文章で表す人もいるでしょう。作詞作曲、歌う事や楽器を奏でることでそれをする人もいるでしょう。スポーツもそうだと思います。創造主が与えてくださったあらゆる能力を目にする事は、実は「創造主」への称賛に立ち返ることになるのではないでしょうか。それは偶像礼拝ではないと私は思っています。(終)

安食道子

 


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