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牧師夫人の徒然なるままに(七二三) 「自分の十字架を負って」Ⅱ(マタイ16・24)
創造主は、万物をお造りになられましたが、時には首をかしげたくなるようなものも、お造りになられました。「蛇」など、なぜお造りになったのだろう。と言う方もいます。(大好きだと言う方もいますが)
被造物の長、人間についても「なぜこんな人を神さまはお造りになったのだろう」などと不遜にも思ってしまう時がありませんか。無差別殺人を犯す人、飛びぬけて知能は高いのに、対人関係がうまくいかずにトラブルの多い人、八方美人で、実りのない人等々。
旧約聖書に出てくる力持ちのサムソンさんは、教会学校でも必ず取り上げられる偉大な士師の一人です。彼はイスラエルの英雄です。けれども女性に弱い事、怒りに任せてとっさの行動に出てしまう事などの欠点を持っていました。けれども、彼の飛びぬけた体力はイスラエル人の敵であったペリシテ人に対抗するためには大いに力を発揮したのです。
しかし、どこから見ても、サムソンはバランスの取れた人ではなかったと思います。現代に生きていたら「あの暴れ者」と呼ばれたことでしょう。彼も、自分の十字架を負いつつ生きたのです。創造主はそんなサムソンを愛し、認め、お用いになられました。サムソンの生涯は、私たちに一面だけを見て人を判断してはいけないという深い教訓を与えてくれます
安食道子
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