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牧師夫人の徒然なるままに(七四二)  「偶像?芸術作品?」   (その4)

 創造主は何と素晴らしい創造をなさったことでしょう。現在地上を嘗め尽くしている建造物にも、驚くような科学技術の中にも、創造主が与えてくださった被造物の中に秘められた不思議な知恵が利用されていると聞きます。人間がどんなに誇ろうとも、決して創造主の知恵以上の創造はできないのだと思います。

 大自然に目を向ける時、詩編の記者のように「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる」と思わず口をついて出てきます。

 毎朝窓から臨み見る男体山の雪渓が神々しいばかりにきらめいていても、私は山そのものを礼拝はしません。「なんと素晴らしい創造主の御業!」と思います。

 日本人は昔から、神のお造りになった偉大な被造物そのものを拝む習慣がありました。大木や巨石にはしめ縄をし、お地蔵さんにはエプロンをつけ帽子を被らせ、仏像は磨き上げて大切に安置しその前で手をあわせます。これらは明らかな偶像礼拝です。

 私はクリスチャンになってしばらく、仏像から目を背けてきました。しかし最近は「作者はどれほどの慈悲を求めてこの作品を作ったのだろうか」と考えます。作者にそんな心根を与えられたのは創造主です。芸術品である仏像を通しても、まことの神が人の心に残された愛や慈愛を思い起こすよすがとなっています。

安食道子

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