「牧師夫人の徒然なるままに」(八一三)「主の囁く御声」(Ⅰ列王19・12)

 私は毎朝「アパ・ルーム」を開いて一日を始めます。先日読んで感動した記事がありました。証についての記述です。

 私たちの教会では証の機会が多くあります。ミニチャーチでの分かち合いや、ナオミの会での証会、婦人会の年に一度の証し会などです。勿論他にもいろいろな場での機会があるのだと思います。

 アパ・ルームの記事には「神の目」と呼ぶ出来事を分かちあう会のことが書かれていました。「私たちはその日どこで神さまを見たでしょう。私たちの生活の中に神さまはどのように現れてくださったでしょう。どのようにあなたはそれを見たでしょう」という「神の目」探しの証し会です。囁き声のようなかすかな痕跡かも知れません。

 証し会というと救いに至った大きな出来事などを語る事だと認識しがちですが、それだけが証ではありません。日常の些細なことがらの中にも神さまの視線を覚え、その御手の跡を認めることが証しです。

 私たちには決して偶然はありません。どの場面でも全能の神の御計画が遂行されている筈です。神さまの御目を認め、その御手のわざを発見することは、ワクワクする信仰の醍醐味です。皆さんも、この宝探しを続けてみませんか。見つけて証ししましょう。

安食道子

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