メッセージ要約 2024.3.24 「ここにはおられません。よみがえられたのです」

○マタイ28*1~15

 誰でも自分の人生があと何日と分かっていたら、怖くて逃げたくなる。誰でも死をできるだけ考えたくないものだ。しかし、死は必ずやってくる。だから人は死への思いを紛らわすために、酒、ドラッグ、ボランティア活動、信仰心、哲学などに向かうが、これらは対処療法にしか過ぎない。死そのものを解決しなければ、誰も死の恐怖から逃れることができない。聖書は、死そのものを解決する方法があると言う。その根拠が今日の箇所に書かれているイエスキリストの復活という出来事だ。

 時は、紀元後30年ごろのユダヤ教の過越しの祭り。イエスキリストは金曜日に十字架につけられ、息を引き取る。遺体は新しい墓に入れられ、大きな一枚岩で入り口を閉じられた。そして日曜日の朝、女性たちが香料を塗るために墓に来ると、大きな岩が動いていて中が空っぽだった。御使いは女性たちに「ここにはおられません。前から言っておられた通り、よみがえられたのです。」と言った。

このイエスキリストの復活とはどういう意義があるのだろうか。

Ⅰ イエスキリストがまことの神であった事の証明

 イエスキリストは生前、復活のことを何度も告げていた。「その時からイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。」(マタイ16:21)イエス様は予告通り復活された。今まで死んでよみがえった人はいない。仏教を始めた釈迦、孔子、イスラム教の教祖ムハメッド、レーニン、みんな立派な墓がある。しかしイエスキリストの墓はない。理由はよみがえったからだ。

Ⅱ イエスキリストの弟子たちの劇的な変化の理由

 イエスキリストがローマ兵に逮捕された時、弟子たちはみんな逃げた。そんな弟子たちがほんの短期間に劇的に変えられ、イエスキリストはよみがえられたと言って殉教していく。彼らに一体何が起きたのか。その変化を説明する合理的な理由は、彼らが本当によみがえったキリストを確認したということしかない。

 イエスキリストの墓には屈強なローマ兵が番をしていたが、兵士が寝ている間に弟子たちが遺体を盗んだという説がある。ローマ兵が居眠りしたなんてあり得ない。職務怠慢で死刑になってしまう。明らかに偽証だ。仮に弟子たちが盗んだとしても、兵を倒し、重い大岩を動かすことは無理だし、命を懸けてまでうそをつき続けることは難しい。

Ⅲ イエスキリストを信じる者の罪の赦しと体の復活の確実性

 イエスキリストは人々の罪の赦しのため、神の子羊として捧げられるためにこの世にやってこられた。この任務が完了したからよみがえられたのだ。パウロは、「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」(Ⅰコリント15:20)と言っている。イエスキリストは、この後信仰を持った者が同じように復活するということの最初の模範となった。私たちはイエスキリストを信じたその瞬間に永遠の命をいただく。だからクリスチャンは2つの命に生かされている。生まれた時にもらった生物学的な命と永遠の命だ。私たちは肉体の死を経験しても死なない。だから、クリスチャンは死を恐れる必要がない。死んだ後も素晴らしい命が待っている。         (T・M)

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