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牧師夫人の徒然なるままに(六九八)  「神の御手は幸いを下し」(その1)(エズラ8・22)

 表題の箇所で、エズラはエルサレムへの帰還の民を引率する途上、ペルシャ王が好意的に申し出てくれた護衛を拒みました。理由はかつてペルシャ王にたいして「私たちの神の御手は、神を尋ね求めるすべての者の上に幸いを下す」と大胆に証していたからです。そして、エズラと帰還の民はそのために断食をして、熱心に祈り求めて備えました。
 最近インドで、コロナ感染者が急増しています。日本人には天文学的な数字に感じられるほどの数です。そして、ヒンズー教徒たちがガンジス川で、沐浴をして身を清める姿が映し出されました。三密などどこ吹く風、マスクもせずに清めにあずかっていました。「聖なるガンジス川とヒンズー教の神は、コロナからも必ず守ってくれるはずだ」という、狂信的な信念に基づいているとのことでした。
 エズラの信仰による確信とこのヒンズー教徒が持つ熱烈な確信?は、いったいどのように異なるのでしょうか。情熱においてはヒンズー教徒も勝るとも劣らないように思えます。けれども、最近の感染状況にガンジス川の沐浴が影響していることは否定できないように思われます。ヒンズーの神の威力は果たして?
 嗚呼、彼らの熱心さが、真の神、天地の創造主にまっすぐに向けられてさえいたならと残念です。(続く) 

安食道子

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