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牧師夫人の徒然なるままに(六五九)「動機を探られる主」

 足の抜釘術を受けて後の二週間は、日ごろ元気印の私も自粛を余儀なくされました。その日も昼食後、眠気に負けてソファーで愛犬と一緒に昼寝を決め込んでおりました。
 そこへゴルフで汗を流してきた夫が帰宅しました。玄関に入るや否や大声で言いました。「〇〇君を連れて来たから、シャワーをさせてあげて」
 「ひねもすのたりのたり状態」だった私は飛び起きて「ちょっと待って!風呂場には洗濯物が干してある!」おそらくその語調には不満が滲んでいたと思います。私の心はちょっとねじ曲がっていました。
 その方がお帰りになってから、私は自分の心の動きを分析いたしました。昼寝を妨害されたことが不満だったのでしょうか?いいえ。 
 私は見栄っ張りです。家の中をきれいにできないことは主婦の恥だという固定観念があります。この時には足の手術のため、風呂場の清掃が出来ませんでした。汚れを見せることが嫌だったのです。でも、僅かな慰めを見出しました。彼は眼鏡をかけているから、きっと近視眼で、隅々の汚れは見えなかったかもしれない。
 翌々日、私は風呂場を磨き上げました。今度、飛び入りで利用者が来ても快く差し出すことができるようにと。ああ、やっぱりこれってミセス・律法?

安食道子

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