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牧師夫人の徒然なるままに(六九七)  「将来を見据えて今を生きる」

 当然のことながら、人は自分の絶頂期を保ちたい、願わくは更なる前進を克ち得たいと願うものです。病気になれば、以前の健康体を慕い求め、名声が衰退すれば、もう一度栄光を取り戻したいと願うものです。  
今はガンになっても、「共存」という考え方が一般的になっています。しかし、ひと昔前にはガンは不治の病でした。ひとたび罹患すればひたすら闘病して、治療に専念すること自体が人生目的になりがちでした。
私は二年前に不覚にも骨折を経験しました。元気だけが取り柄のような私にとって、それはとても苦い経験でした。その時に思いました。「怪我が治りさえすれば」と。何の疑いもなく完治を信じていたのです。十数本のチタンのネジとプレートを挿入され、骨が固まったころにそれを取り除きました。当初は百パーセント回復すると思っていた私でしたが、妙な痺れ感が残りました。そして私は大きな教訓を得ました。
後遺症は私の人生の目的の脇をかすめるそよ風に過ぎないのだ。私は今後、それに関心を奪われないぞ。ありのままの体調を受け入れ、人生の目的達成を目指して突き進もうと。ちょっと格好良すぎますかね。 
 自分を励ますために、恐れ多くもパウロの「肉体の棘」を思いました。足を引きずり歩くことになったヤコブを思いました。このままの最善を生きよう!と。

安食道子

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