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牧師夫人の徒然なるままに (七六六) 「信仰の真髄・たとえそうでなくても」(ダニ3・18)

 信仰を与えられて新たな人生を歩んでいても、私たちがすべての災難や病気や煩いから免れているわけではありません。「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも、正しくない人にも雨を降らせてくださる」(マタイ5・45)とあるように、私たちを公平に扱っておられるのです。
 イエスさまに出会い、信仰を告白し、洗礼を受けてから半世紀が過ぎ去りました。その間に、たくさんの信仰の友を得ました。残念なことに、中には信仰を捨てて離れて行ってしまった人もいます。その多くは、人生の困難に出会って、イエスさまのご愛がわからなくなったからだと言い残しました。
 新興宗教では、現世の苦しみの原因を先祖の因縁だと脅して、献金や善行で解決を図ろうとします。誰しもがこの世での幸い、繁栄を何よりも求めてしまうところに付け込んでのことです。
 もし、現世だけで人生が終わるのなら、それもいいでしょう。しかし、イエスさまはよみがえりの命をご自身でお示しになりました。私たちの目指すところは主と共に住まう永遠の命、天の御国での永遠の命です。
 今、御言葉に養われつつ、信仰が成長するにつれて、現世を生きるモットーとなるのは「たとえそうでなくても」の信仰だと確信するにいたりました。  (続)

安食道子

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