「牧師夫人の徒然なるままに」(八〇九)「礼拝の喜び」

 週の初めに教会に集い、共に礼拝を捧げることは大きな力になります。礼拝が終わり教会堂を後にして、それぞれの場所に散らされて行っても、礼拝で受け取った恵みは新しい希望を生み出してくれます。

 よく、礼拝に臨む時に「あなたから、力をいただきたいのです。みことばを語ってください。それを力に一週間を歩みます」という祈りをする人がいます。それが間違いだとは思いませんが、礼拝で力を受けたいなら、もっと大切な事があるのではないでしょうか。

「与えて下さい」「語って下さい」という要望だけを携えて礼拝に参加するより、そのことは何倍もの恩恵を受け取ることになるのだと私は最近教えられています。

 礼拝は「自分を捧げること」「私から受け取ってください」と言って真心を捧げる場です。受けることばかりを考えるのではなく、ここでも与えること、差し出すことがもっと力になるのです。 

 日常生活で疲れ果てる時があります。そんな時に人が訪ねて来たり、電話がかかったりすると、とっさに逃げ出したくなることもあります。けれども、訪問者と語らい、電話でお話を聞き、僅かではあっても自分の時間と言葉とを相手の方に捧げる事が出来た時、私は疲れが吹き飛ばされたと気づきます。力を受けたいなら、まず、自分自身を差し出す事でしょう。

安食道子

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