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峰町キリスト教会 牧師夫人の徒然なる

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#聖書

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五七)「もはや彼らの罪を思い出さない」(へブル8…

 年齢のせいでしょうか?最近過去の事柄が突然脳裏に彷彿とよみがえることがあります。まっし…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五五)「喜ぶ者といっしょに喜び泣く者といっしょに泣…

 カウンセリングの大切な要素に「共感すること」があります。ただ相手の心に合わせて差し上げ…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五四)「片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けな…

地球上のいろいろな場所での戦闘が勃発し収束の兆しが見えません。打たれたら打ち返す、傷を受…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五三)「野のゆりがどうして育つのか」 (マタ6・…

植物の可憐さ、美しさを見て心が慰められない人はいないと思います。いったい植物は何のために…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五一)「私たちは、見えるものにではなく 見えない…

 先日ある方との間で茶道が話題に上りました。難しく細やかな所作を通して立てられるお茶は、…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五〇)「こうして、幕屋のすべての奉仕が終わった」…

 出エジプトと共に、主は幕屋の建設を命じられました。そして民は喜んでその建設に携わりまし…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四六)「主よ、お知らせください。私の終わり、私の齢がどれだけなのか。」 (詩39・4)

「あれよ。あれ。」「うん。そうそう。あれね。」夫との会話の中でこんな??が増えてきました。二人とも思いの中に描いている物は同じなのですが、悲しいかなその「名前」を思い出せないのです。人の名前についても同じです。同時に同じお顔の映像を脳裏に浮かべつつもお名前が口から出ないことも増えました。  こんな「あれ、あれ」が今はまだ共有できていますから「そうね。あれね。今に思い出すから話を先に進めましょう。そのあれがね云々」と会話が保てますが、きっとそのうちに「あれってなんだよ!わから

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四二)「ロトについて思う事」(創世記一三章~)

 アブラムの旅に甥のロトは最初から随伴しました。  ロトはおそらくは有能な人物だったので…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四一)「アブラハムの視点」その2(創世記一三章)

 さて、生活圏を分離することになり、ロトは自分で選んだ地へ移動しました。残念なことにロト…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八三六)「人生を楽しみ喜ぶ心のゆとり」

 現代は家事のやり方から、お料理のレシピー、食べたいものを提供する最寄りのお店の場所、気…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八三五)「わが子よ。私のことばを守り私の命令をあなた…

 LRTが走行を開始してから早や四か月が過ぎ去りました。私の部屋の窓から、そのステーショ…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八三四)「戦争を知らない子供たち」

 昨年は鹿沼でのクリスマスコンサートで、ギターの弾き語りをさせていただきました。その時に…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八三三)「なまけ者の欲望はその身を殺す。その手が働く…

 いよいよ二〇二三年も今日で終わりです。激動の一年間でした。地球上のあちらこちらで紛争が…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八二八)「私のたましいよ、おまえの全きいこいに戻れ。主はおまえに良くしてくださったからだ」(詩116)

 今、地球上は大きな災難に見舞われています。異常気象がもたらす災害や生態系の異変、そして、何よりも大きな戦争が日々、私たちの心を悲しみで溢れさせます。  平和な日本に住み、あまりにも暑く長かった夏がようやく終わって、訪れた秋の到来に感謝をしつつも、心のどこかで「こんな平和を楽しんでも良いのだろうか?戦禍に逃げ惑う人々の姿が毎日のように報道されているのに。自分だけこんな幸せに浴していて良いのだろうか?」と問い掛けている人が多いのではないでしょうか。  ふと、イエスさまの十字