エホバの証人の信者の方との語り合い1

30年ほど前、大学生の頃、自分なりに学んだつもりになっていた論理学で宗教を信じてる方の洗脳を解けるかどうかと試したことがある。若気の至りだなぁ(笑)。

エホバの証人「Tさん」 12年前 <クジャクバトさんは憶えてないかな?あのTさんです>
のっけから宗教関係者です。読者様が高速で引く空気を心地よく感じつつお送りします。(笑)
Tさんは30代前半のにこやかな紳士でした。毎週水曜日の午後8時からきっちり1時間私を「導こうと」来訪していました。
宗教で心の平安を得ている方々は大半が温和な方が多く、個人的には好感を持てるくらいです。
ただ、私は現状、全ての可能性を考慮した結果、「積極的無神論者」です。何も考えずに「胡散臭いから」と無神論者に
なった方よりは「少しは検討した結論」という意味が積極的かなと。我が家族では母と私がこれに属します。
おそらく日本人多数派は「禁忌だから深く考えずに」無神論者だと思います。まあ結論は同じなんですけど。
宗教を話題にすることには今の核武装論に類似性を感じます。「核武装は検討すること自体ダメ!」として何も考えないのか?検討を重ねた結果
理由を明確にした上で核武装をしないという結論を選ぶのか?語ること自体をタブーとされるのは私にとっては悩ましい。
この発言も「おまえは戦争賛美するのか!?」と言われたら臆病な私は「ごめんなさい」といって即座に撤回します。
ただ、第二次大戦中に敵性言語だから英語は一切ダメ!という盲目的な考え方にも通じるものを感じますね。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」敵を知り、分析することと、敵を利することは全くの別事なんですけどね。(笑)
騙されない為に詐欺師の手口を知っておくことと、実際に詐欺を行うことのほうが判りやすいでしょうか?
ああ、またいつものように脱線しました。それではラウンド1行って見ましょう!

ラウンド1 「災害や苦痛はどこからやってくる?」
まずTさんの言い分を聞きにまわります。彼が私を説得するのですから立証責任は彼にあります。詳しい教義は
この記述の目的ではありませんので省略しますが、大まかに言えば「聖書は全て真実を記している」というものです。
Tさん「神は全知全能にして万能、かつ慈悲深い存在です。」私「ならば、なぜ苦痛や災害の存在を許容しているのですか?」
Tさん「それらは反逆者であるサタンの仕業です。」私「万能で慈悲深いのになぜサタンに好き勝手させてるんですか?」
Tさん「神の御業にサタンが『人間が貴方を信仰するのは貴方を恐れるからで自由意志ではない。』と問うたのです。
つまり、神がその加護を示さなければ一人も神を信じるものは残らないという問いかけです。神はサタンの問いかけが
間違いであると証明するために大いなる実験をしているのです。人間の親が病気の我が子の治療のために手術を
受けさせているようなものです。苦痛はありますが、その後、良好な状態になるために必要なことなのです。」
私「それはおかしいです。万能な神ならば苦痛無く、手術の効果だけを得ればよいではありませんか?」
Tさん「それを受ける人間が苦痛と感じるのは信仰に目覚めていないからでしょう。」
私「少なくとも完全万能がありえないことは、私がここで口先だけでも証明できます。『神よ、貴方が持ち上げられない岩を
作り出して下さい。』と問えば、岩を出しても出さなくても神の万能は崩れますよね?ヒトよりははるかに有能という意味なのでは?」
Tさん「聖書にはこうあります。『神を試す勿れ』と。神の力を試すようなことをしてはいけないのです。」
私「それは実験や観測によって得た情報を解析することで理解しようとする私からすれば逃げにしか見えません。
目に見えない存在を信じるのは難しくないですか?」

基本技の「持ち上げられない岩」で「万能かつ慈悲深い」の矛盾攻撃に一応、成功してますが、Tさんは意に介さず前進。
「神を試す勿れ」で議論の封殺を狙ってきました。これは彼らの基本防御技です。
ならばと二の矢で「見たこともないものを信じられない」を投入しましたが、これは踏み込みが甘い質問でした。
さて第一問はTさんの立場で反論してみてください。別に教義を知らなくてもできる反論があります。
明日に続編を載せます。


CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。