VS性悪一休さん 改

■マスク外し反則負け=佐藤九段、規定違反で―日本将棋連盟
(時事通信社 - 10月31日 16:31)
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⇒かなり昔ですがメインクラスでCIAの内部監査、現在進行形ではサブクラスで行政書士、趣味では一貫してTRPGやボドゲカドゲ(笑)ということでルールについては一家言ありです。

すべての注意点を初期から明文化はできないので、後出しルールになってしまうことはあり得ます。たとえば、育児などで子供が大声で騒ぐのを静かにさせようとして親が叱るのは「強制力を伴った後出しルール的側面」が強いわけです。だからこそ1回目は警告扱い(=イエローカード)として「ペナルティはない」ほうが良いでしょう。「今回注意して、もうわかっただろうから2回目はペナルティあるよ、気を付けてね」というのがちょうどよい落としどころだったのではないでしょうかね。個人的に将棋のA級対局で発生した「一発レッドカード」は非常に残念でした。

「事前にそのルールで戦うことを承諾していたから後から騒ぐのはフェアではない」という意見もありますが。それは双方が互角な立場の約束や契約であれば同意します。ただ、今回はよくある「トップダウンな組織の規定」ですので条件としてはいささか異なりますね。

「問題を避けるためには事前にルールを明文化して定める」というのは最重要課題です。「わかりやすさ」も大事ですが、それ以上に「曲解の余地を減らす」ことが重要視されます。法律の条文(というかルール全般)は「性悪な一休さん」の悪意にさらされる最前線の存在であり、彼ら困ったちゃんに対する最大の反撃根拠でもあります。ですから罰則を伴う法律の条文などは複雑になり、結果的にわかりにくくなるわけです。一方で罰則を伴わない公序良俗、努力規定にあたるような条文は比較的わかりやすい明快な文章となります。

そしてルールの不備による問題発生でプレイヤーを責めるのは大間違いだということです。プレイヤーにはルール設定の権限はないのですから。高校球児の敬遠策だとか横綱の張り手だとかサッカーの引き分け狙いのパス回しだとか。プレイヤーが「ルールの中で最善を尽くす」のは当然の権利です。かりに「相手の強打者と真っ向勝負」「横綱が受けて立つ」「サッカーで引き分けでもよい状況で果敢に攻めたり」して敗北したからと言ってだれも責任を取ってはくれません。「ルールの不備」について権限のないプレイヤーを責めるのはお門違いです。プレイヤーが最善を尽くすのを邪魔するなということです。ルール不備の責任はルール設定の権限者を責めるべきことです。


で「じゃあプレイヤーはルール内なら何をやってもよい!」とは言いません。とはいえ「ルール内で何をやってもよい」という人間を後付けルールで追い詰めるのはそれこそルール違反だと思いますね(笑)。

「ルールで強制されるのではなく自主的に行うから」こそ「マナーとしてかっこいい」となるはずです。映画やドラマで感動するような自己犠牲のシーンが、実はルールや契約でガチガチに強要されてたと言う背景が出てきたら、感動の内容が変わるのではないでしょうか?

ルールとマナーの違いは「性悪説と性善説」「他律性と自律性」「罰則(強制力)の有無」あたりが思いつきます。

「ルールは守らせることはできるがマナーは守らせることはできない」(なぜなら自主的に守ってこそマナーと言えるものだから)というところでしょうか。

あ、「二歩」との違いはルールの設立目的からして明らかです。マスク着用ルールはあくまでも「蔓延防止」「故意のマスク未着用者へのけん制」であり「マスクによる反則負けを積極的に狙う」ものではないはずです。対して「二歩」などの盤上の反則手は格闘技における「急所狙い」のようなものです。ルールはあくまでも「目的」ではなく「手段」ですから、目的に沿う形で運用しなければなりますまい。

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将棋がスキ

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。