自由や権限の領域論

入れ墨でも食文化やシーシェパードでもISやシャルリーエブドでもゲス不倫や実質的な愛人制度でも、移民受け入れや原発や死刑の賛否でも。

私には共通基準となる考え方がある。それが「領域論」だ。この考え方はストレスをうみにくいことにもつながっている。あくまでも私の思考は私の領域にあるので他人様にどうこう言うつもりはない、同時にあまり強くどうこう言われるいわれもない(異論を聞くのは好きですけどね)。

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「人の価値観は違って当たり前、立場も生い立ちも知識も所有情報も年齢も性別も違うのだから。」
「音楽バンドが解散するのは音楽の方向性の違いのせいだけではない。最初から方向性は違うのだが、人気が出るまではその違いを許容しているだけだ。違いを許容できなくなると解散に至る」
「分かり合えないのが当たり前ながら、その中で分かり合おうとする努力に価値がある」
「異論に出会った時の態度は積極的賛成の共感、消極的賛成の許容、消極的反対の我慢、積極的反対の反撃くらいまで考えればよいのだろう」
「ISが全世界と戦わざるを得ないのは同調しない相手すべてを攻撃するからである。その時点で彼らと私たちは相容れない」
「自分の自由や権限が及ぶ領域は自分の領域であり、そこでは最善を尽くすのが良かろう」
「他人がどう思うかとかは他人の領域、天変地異などは環境の領域なので直接どうこうしようとするのは『無駄な努力』でしかない。気に入らない結果でもとりあえず許容につとめる、あきらめずに何かやりたいならあくまでも自分の領域で行えることを探す」
「たとえば好きな異性に好かれる努力をするのは『自分の領域」だが、実際に隙になるかどうかを決めるのは『相手の領域』である。これがわからない人間がストーカーになる」
「シーシェパードが主にアジア諸国に食文化を押し付けてくるのは領域を踏み越えた野蛮な行為である。
「私は犬を食べる文化も尊重(許容)する。無論私に押し付けられたら拒否するが、そういう文化も彼らの領域で行う分にはどうこういうことではない」
「権利と義務、自由と責任は比例しなければフェアではない。」
「一定以上の有力者や有名人の行動に制約がついてくるのはこのためだ。自由と権利だけを享受し、相応に比例する義務や責任を果たさないというのはフェアではない」

・・・というわけで、やっと本論の「入れ墨」に関していえば、基本原則ご本人の自由だが、周囲にどんな目で見られるのか(特に日本では入れ墨に対しての歴史的背景があり、また国民性もある)というデメリットについては覚悟のうえで行うべきだろう。他人の目を気にするくらいなら入れ墨を入れないほうが良いだろうし、入れ墨したからにはある程度他人にどんな目で見られることになるかを許容すべきではなかろうか。少なくとも「現在ファッションでかっこいいから」という考え方には「過去の歴史的経緯を知ったほうがよい」、「自分の体は自分の自由(領域)だから」という考え方には「他人がどう思うかは他人の領域だから」というカウンターがあることくらいは把握したほうが良い。入れ墨をして後悔し消したがっている人も少なからず存在している。彼らはそこまで考えなかったのだろう。それもまた彼らの人生ではあるが。


私自身は親にもらった身体髪膚を大切にしたいので入れ墨はしないだろうし、入れ墨を入れている人を「内心で」好ましくないと思うわけだが(あくまでも内心なので自分の領域である)。少なくとも入れ墨を入れているという理由だけで、その人物に強く反発するようなことはしないだろう。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。