もしハナ「全力」VS「最善」

いまさらだが、「もしドラ」の中で用いられているドラッカー理論について若干の違和感がある。

「顧客に提供する既存価値の発見や創出(マーケティング)と業界や顧客の常識をこえてさらなる価値の提案(イノベーション)が企業の2台活動であるべき」というのがドラッカー先輩の大まかな教えだ。

もしドラの中では以下の3つがイノベーションのアイデアとして用いられている。

1 ボール球の意図的な排除
自軍投手はボール球を投げず全部ストライクを投げることで投球数を減らし、スタミナを節約、連投に備える。
自軍打者はボール球を見極めて振らないことを徹底する。連投する相手投手に一球でも多く投げさせて疲れさせる。

2 絶対にバントをしない。アウトを確実に一つ献上するのをムダと考える。

3 守備のミスからチームが崩れるので積極的な前進守備を監督が命じる。エラーをしても自分の責任だと感じにくくする。

1つ目、ボール球に対する考え方。基本原則には賛成できるが、「こいつは全部ストライクで来る」と特定できる投手は攻略されやすいのではないか?限られたストライクゾーン内部だけでは選択肢が限定され過ぎる。投手のコントロールにもよるが、比率は低いながら意図的なボール球は残すべきだと考える。たとえば「明らかに相手が打ち気に逸っている」という場合はボール球は有効だろう。行間というか間合いというか忙中閑ありというか。・・・まあ、「打ち気に逸っているのが見せかけかどうか?」という駆け引きが始まるわけだが。

ボール球への見送りについては別にイノベーションでもなんでもない。「ボール球を振るな」というのは元々言われていることである。付け加えて発展させるならばきわどいボールは(審判によってはストライクととられかねない)ファールでカットする技術がほしい。

<15年ほど前、私のナゴヤゲーム会メンバーでファミスタが流行った時、最強の男シタカの必殺技がこのカット打法だった。3回までに相手チームの投手全員のスタミナがついえるというとてもおそれられる作戦。ちなみにゲーム会メンバー内で一番ファミスタが「へたっぴ」だった男が名古屋大学のファミスタ大会で優勝したと聞いて驚いた>

<現実でも30年前の愛知県高校野球の予選において有力なエースを抱える相手とぶつかった弱小高が野球部でもないのに助っ人に入った人物の徹底した指導によりファールカットや投手にとらせるバント攻めを徹底し、番狂わせを演じている。後退の投手が何人いるか? その日の天候は? 様々な要因はあるが相手投手のスタミナと言うのは非常に大きな要素だ。守備において投手のしめる比率がきわめて大きいのが野球である>

2つ目、私も100%の送りバントは愚かしいと思う。とはいえ100%用いないというのもやはり極端に過ぎる。幅広い選択肢で相手を悩ませるという「ニンジャ的なかく乱効果」を自ら放棄してしまうのはいかにももったいない。「送りバントは正解ではないが選択肢の一つとしてはあり得る」と相手に意識させるくらいがちょうどよいのではないか。

3つ目、背水の陣の考え方であり、面白い発想ではあるが一長一短。人間が「馴れる」という点を失念している。前進守備がデフォルトになれば「前進守備だからエラーをした」と言う言い訳が弱くなってしまうだろう。特に緊張するシーンで用いるなどのメリハリをつけるべきではないか。

付け加えるならエラーをしたときに行う「マインドリセットの儀式」を準備しておくとよいだろう。

責任は「自分」「他人」「環境」に上手に配分しなければうまく使うことができない。

●まとめ
「もしドラ」では無駄を省くということを徹底し、効率を上げることが「全力」で行われている。だが、勝負に勝ちやすいのは「全力」よりも「最善」だと思う。基本路線は賛同できるが、ハイレベルの攻防になればなるほど駆け引きや心理的影響などを考えねばならない。とすると戦術選択肢を自ら狭めるのはいかにも惜しい。

実際に将棋において私が自分より強い相手と伍して戦えるのはこの「駆け引き」「決め打ち」によるところが大きい。


CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。