先日、東京で開催された内科学会、呼吸器学会に参加し、演題を出させていただきました。
内科学会では、「COVID-19流行下における新しいクリニックの形の提案」という演題でした。
内容は2022年1月から9月(第7〜8波)の長岡市での新型コロナ陽性報告者数の1割強を当院でトリアージし診断・加療したこと、どうやって安全性・効率性に関して配慮して診療を行っていたか、などについて報告しました。
実際に振り返ってデータをまとめてみて、スタッフ一人一人の頑張りや当院のシステムがはまったことが数字になって現れたのだと思いますし、COVID-19診療がしんどかったこともあり、少し報われた気分になりました。
今回、発表の質疑応答の中で、「運営・経営に外部のコンサルは入っていますか?」という質問がありました。
回答としては、外部のコンサルは一切関わっておりませんというものですが、そういった質問が出てくるところにも、今一度、現状の医療の問題を感じました。
普通、学会で経営が話題になることがありません。
そもそも、一般的に、医者は経営の勉強をしません。(通常の業務・日々の知識の更新や技術の習熟で忙しく、それどころではありません。)
しかし、病院で勤め上げて、医学の専門性を高めた後に、功績が評価されて病院の責任者になると「あなたがこの病院の経営のトップだ」、と言われることになります。ある意味、酷な事とも思います。自身で開業をする場合もそうです。
当院ではクリニックの運営部に任せきりです。自分としては、経営について何も勉強していませんので、それについて感謝しかありません。(笑)
その割に、今ある医療上の問題は、大概、人材と金銭不足によります。
お金が関わってきます。
現状では、日本では国民皆保険・高額医療制度も整っており、命を救うために、お金が払えないから治療ができないことは諸外国よりも圧倒的に少ないです。ただ、今後、そういった恵まれた状態を継続できるか?と考えると、些か不安を覚えます。
今よりももっと、持続可能な形、より効率の良い形に変化していく必要があるのではないか、と、自分が歳を取ってからの社会のことを考えると思います。
お金を稼ぐためというよりは、経営上の工夫を考えていかなければ持続的に医療を提供できなくなる可能性を考えると、無関心ではいられません。
ちなみに、お金だけ稼ぐことを主眼とすると、不必要に値段を釣り上げたり、不必要な治療・検査をしたりと、金銭面ばかり追い求めても、結局、税負担が増えるだけになるので、結局現状の体制は保てなくなりますので論外です。
幸い、自由診療抜きでも、多くの患者さんに支持いただき、医療を提供させていただけそうです。(駅前のエールホームクリニック長岡ができたら、ニーズに合わせて一部自由診療も始まりますが。) 一般診療をしているクリニックレベルでの効率化・専門性が深まることは、今後の医療体制にも合っていると感じます。
今後、当院としては、10月に駅前にも事業を拡大して、より良い医療を、効率的に提供する、現状のスタイルの確立を進める予定です。
最近、アインランドの「肩をすくめるアトラス」という本を読んでいます。
50年ほど前の小説でアメリカのベストセラー本です。聖書についでアメリカで読まれている本とのことで触れ込まれており、米テスラ社創業者イーロン・マスクなどの愛読書でもあります。
既存の既得権益層が新しい産業の発達を阻害するような社会を描いています。世のための新しい発見を排除し、既存の組織を優遇し、そのため新しい雇用が生まれず、努力が報われず、細々と疲弊していく社会です。
読んでいる中で、今の日本の社会や医療情勢における構造で似ているところがあることに驚かされます。
医療に従事しているものとしては、全てに賛同できるわけではありませんが、小説としても、非常に面白いです。
先述のため、医療はインフラとして重要ですが、全ての医療が残るかといえば、今後必要性の高い医療を残していくために淘汰される場合も必要に応じて出てきて然るべきです。
社会が疲弊せずに、安心な医療を提供できる場を増やしていけたら、と思います。
最後に、「肩をすくめるアトラス」から、
夢にみた世界は勝ち取ることができ、それは存在し、本物であり、実現可能である。
利益は出資者と従業員の互いの努力の成果、生産性は顧客へのより高い価値の提供とコスト削減と定義され、アイデアとチームワークによって高められる。
働きに相当する以上を求めたり、それ以下を受け入れたりすることを要求されることはない。全員の努力によって得られた恩恵はひとりひとりに分配されるが、各人が受け取るのはその貢献度に応じた分のみ。
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