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【私に彼氏ができるまで】とかじゃなく、【3年ぶりに彼氏ができたが、本当の悩みは消えないし、孤独だし、マジ人生辛い〜】と感じながら書いたクリスマスの日の思いを今ここにて世に出す。

お久しぶりです。メリークリスマス。最後に更新してから、ここ最近までいろんなことがあって別にそんなに忙しかった訳ではないんだけど、ただ文章を書くことを忘れ、本を大量に読み、恋愛をし、友人とご飯を食べ、貧困に喘ぎ、今後の将来に絶望し、たまに料理を作り、毎日ある程度の掃除と洗濯をし、歌詞をなんとなく書いてみたり、スマホのメモにポエムを書き、恥ずかしくなり、空を見たり月を見たり、そのとき思ったことを書き、何か副業をしなければ、と焦り、それでもいつものようにベッドにバカみたいに倒れ込み、狂ったかのように寝て起きて次の日が始まっているような今日この頃。
みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

突然ですが、結婚します、じゃなくて、突然ですが3年ぶりにちゃんとした彼氏ができました。彼氏の前の、〝ちゃんとした〟という形容詞は必要なのか、どうなのかは置いといて、まあ彼氏ができたわけです。
もう彼氏ができたからって、急にこの世の中の世界が違って見える!急にキラキラしだした!なんて思う年齢でもないし、彼氏ができたからって、悩みが吹っ飛ぶわけでもない、色んな身に覚えのない(と思いたいだけ)請求書を払ってくれるわけでもない、貧困に喘がないわけでもない、それでもやはり、ずっと好きだった人と両思いになるということは簡単ではない、貴重な経験を今の所はしていると思い、常に彼に一応感謝しながら、ラインがくるとデレっ♡っとなるくらいの日常は送っている。

ぶっちゃけ、彼氏ができた女の日記なんて誰も興味ないと思うんだ。人の不幸は〝密〟の味、じゃなくて〝蜜〟の味っていうことわざには激しく同意するし、こんな辛い世の中、彼氏ができた〜なんていう女がいたら、羨ましいを通り越して、惨めな自分との比較も通り越して、なんとも思わなくなる、虚無感っていうのかな、そんな自分が過去にいたから、彼氏ができたーキャーうわー、なんて話をこんなクリスマスにする気は全くない。
では、なんの話をするかというと、これまでの私の3年間の独り身のときに思っていたこと、その思いから考えたこと、実際に彼氏ができるまでにやっていたこと、考え方等を書いていきたい。マジで誰得?って感じだけど自分の気持ちをここでおさらいすることで、大好きな言葉【初志貫徹】の意思をもう一度着火出来そうな気がする。

まず初めに、20歳以降ずっと彼氏がいなかった。今は23歳なんだけど、この3年間に何人もの人から、「彼氏いないの?」「彼氏欲しくないの?」「なんでいないの?」という類いの質問をされた。別にその質問をされたからって私は、ほっとけ!この野郎、的なことは思わないんだけど、毎回こういう質問をされるとなんでいないんだろうとガッツリ考えさせられる。そしてネガティブな思いが込み上げてきて、自分に問題があるからではないかとか余計なことを考えてしまっていた。

おそらく、そんなにちゃんとした恋愛経験がなかったから、恋愛が本当にいいものなのか、自分の今の人生に必要なものなのか、本当にしたいのかがハッキリわからなかったような気がする。今考えればちゃんとした恋愛って何?そんなの人それぞれだし、もっと軽い気持ちで色々やってみたらいいのに、若いんだから、っても思うんだけど、私は意外と真面目で、多分ずっと自分の理想通り、というかちゃんとした相手と付き合いたかったんだと思う。ちゃんとしたっていうのは、なんだろう、本当に好きな人!安心できる人!

でもそんなちゃんとした相手って、一つの恋が終わったらすぐにくるみたいなそんなエスカレーターっぽくなくって、どっちかというと、エレベーターみたいに自分がある程度準備できて、向こうも準備できて、言葉では言い表せられない何かと何かがマッチして恋愛って始まるものなんだと思った。
これまでそんなに好きな人と恋愛したことがなかった。皆何か違う(めちゃくちゃ私と何かが合わないって人もいた)という違和感を抱えながら、でもまあ、ある程度は恋愛したいよね、だって恋愛ってやはり自分の一つの持ちネタだし、女子会で架空の彼氏との作り話をする必要もなくなるし、そこら中にカップルがいるし、ドラマではいつも可愛い女の子がドSな男に恋愛しているし、マッチングアプリが流行っているし、することが当たり前みたいだし、ラインニュースの欄には恋愛っていうカテゴリーがちゃんとあるし、占いには今月の恋愛運なんていうのも必ずあるからやっぱり無意識のうちに恋愛すること、それは片想いでもカップルでも、それが当たり前のように感じられた。

生来、真面目な私は相手と何か違うという思いを我慢することができず、それを受け入れる器のデカさもなく、でも一応彼氏が欲しいというしょうもない気持ちを持っていたからなんとなく付き合ってきた。自分の直感は正しいことが多く、わりと鋭いし、人のことを無意識によく見ている、観察しているので、やはりそういう相手とは一緒にいても少しは楽しいんだけど、もう一人の冷静な自分が全く心の底からは楽しんでないって叫んでいて、自分でも辛かったし、おそらくそれは相手にも失礼なことだったと今になってわかる。だから3ヶ月以上付き合った経験がないし、自分の理想としたお付き合いをしているカップルがただただ羨ましかった。隣の芝生は青いというように、その見ず知らずのカップルの心の底は全くわからないがそれを知った上でも羨ましかったのだろう。
何か違うと思いながら付き合ってきた相手との別れ方もやっぱり適当で、急に連絡を途絶えたり、一方的に分かれるような恋愛をしてきて、ものすごくわがままなのだが自分でもどう振ればいいのかわからなかった。本当に好きではなかったから相手に誠意を見せることができなかった。

結局このような対応をしている自分が1番嫌で、気持ち悪くて、でも、大して好きでもないのに、なぜかその相手にメンヘラになる部分が自分の中にあって、おそらくそういう部分が一番自分を醜いと感じていたのだろう。

そんな恋愛をしていた私だが、20歳の誕生日を機に、これまでの人生、何もやり遂げて無いじゃん、と考え出し、当時、外国語専門学校に通っていたこともあり人生で初めて英語の猛勉強をした。(その話はここで)
この決断がいい機会となり、自分が心から好きな人と一緒にいよう、その為にはやはり自分の人間力を鍛えよう、と自分自身の内面も外見も徹底的に見直した。考え方を変えた。改めて人生を見つめ直した。

だらしない部分や、精神の不安定さ、生活習慣、この今生きていることへの熱量、食事、運動、考え方、全て直せることは直し、どうなりたいか、どんな人と付き合いたいか、そのために何をすべきかを考え、悩み、考え直し、の繰り返しの生活をしていった。私は、絶対自分のレベルと合う人が自分のパートナーとしてやってくると思っている。だから、自分の人間力を向上することで、そのまだ見ぬ相手も素敵な人だろう、と信じてきた。自分が素敵になれば、パートナーも素敵になる。これを信じて、日々過ごした。パートナーだけでなく、周りの友人や知人もそういう人が必然と集まるのがこの不思議な世界の贈り物だろう。

人間力なんて、どんな人が素敵だと思うかはあなた次第だ。そういう私の理想の人間は一人でも生きていける人。「彼氏がいないと生きていけない」そんな気持ち悪いことは言いたくなくって、一人でも人生を楽しめる、生活できるお金(仕事)と精神と考える力を持っている人、自分自身をわかっている人、広く深く理解している人、そんな自立して一人で生きていけるぜ!ってなって初めて、まあこの地球に何億人といるから一人より二人が楽しいだろう!って思い、初めて相手と関係を深めていきたかった。恋愛が人生の大部分を占めるのではなく、まず第一にこの私の人生があり、さらに幸せになるために恋愛があるのだと考えた。だから今、恋愛で人生ゴッチャゴチャって人は別に自分の中に恋愛を必要としない努力をすることを勧める。(まあそれでも人は愛し愛されたいものなんだろうけども)
その努力をしていくことで、意中の人の存在すら忘れていく。人間力を高めていくことで新たな趣味ができるかもしれない。知らなかった自分がいるかもしれない。その可能性を信じて、つまらない恋愛をしているのならスパッと捨てる勇気を持った方が私はカッコイイし素敵だと思う。
あくまで私の考えだ。有耶無耶のまま恋愛ができるほど器用でもない、そんな自分が許せないという考えがある。

もちろん、誰だって、多分、メンヘラを経験してこういう考えに至るのだろう。初めっから、こんな天海祐希みたいな女性にはなれない。でもやはり年齢とともに成長していくのが人間の性であり、それが人生をより豊かにするのだろう。成長を感じられないと私はモヤモヤする。やはり実は意識高い系なのかしらん。フリーターだけどね。

まあそんなこんなで専門学校を卒業し、働き始め、生きるのマジ大変って常に思いながら自分の趣味や勉強や人間として大事な家事をしながら時が経っていき、気がつけば全く恋愛に興味が無くなっていった。
ああこの人カッコイイ、とか私の中の第六感がビビビッと来るんだけどでもなんとなく恋愛までには発展しない、なんなら面倒臭い?そして今のこの割と完璧な自分の生活に恋愛って必要なのかって思い始めてたのが21・22歳くらい。
多分、二十歳前後って一番恋愛が楽しい時期なんだけど、私はもう無敵な考え方と十二分に満足しているこの生活がとても気に入っていたのだろう。街でカップルをみて、いいな、微笑ましいなとは思っていたんだけど、もう自分と比べることは特になかった気がする。

将来どうなりたいかもだいぶ決まってきて、やりたいことも増え、もっと読みたい本があり、映画も見たいし、海外ドラマもシーズン3まで見なければ、毎日ある程度の掃除と洗濯としっかり自炊して、そんな日常が好きだった。
だいぶ理想に近づけていた。天海祐希っぽくなってきた。もう少しで天海祐希だった。

父親には彼氏が長年いないことが逆に不安だと冗談で言われ、友人の彼氏の話を聞き、1週間前に別れたのに、もう別の彼氏がいる先輩の話を聞き、そろそろ恋愛をしてもいいかと思い始めたのが約1年前。
というか、おそらく、完璧に飽きたのだろう。完璧のままではつまらなくなったのだろう。何か刺激が欲しくなったのだろう。これだから人間は。

そうこうしているうちに、その約1年前に今付き合っている彼氏とちょうど出会った。知人の紹介なんだけど、初めは全く期待していなかった。でも会って話してて、初めてここまでイイな、というかなんとなく、そう!この根拠のない直感で合うなと実感した。彼とはその後色々あって連絡を取らない期間も4ヶ月ほどあったし、こんなコロナ禍でなかなかスムーズに会うことができなかったんだけど、結局デートやラインをしているうちにお互いが好きだということが共通認識になった。

ずっと他のカップルが羨ましかった。こんなに皆当たり前のように好きあっているのに、どうして私は自分がイイな、と思う相手は私を好きになってくれないんだろうとか、どうしてこんなに色々頑張っているのに、わりと普通の人間なのに、私よりももっと酷い人間が愛されてるのに、なんで私は彼氏がいないのか、とか色々考えてきたけど、みんな私が思う以上にいろんなことを乗り越え、いろんな感情を経験してきたのだろうと私のこれまでの他者を思う想像力の欠如を恥ずかしく感じられた。

今の彼とは付き合う前に色々あって、私はこれまで恋愛は普通にスムーズにいくものだと思ってた。なんとなくお互いに惹かれつつ、誰にも邪魔されず、どの台風にもデートの予定を延期されず、でも恋愛って本当にいろんなパターンが会っていろんな出会い方があり、すぐ諦めがちで、もうイイやって投げやりになりやすい自分には本当の恋愛がこんなに大変だとは思わなかった。

前の自分はすぐになんでも諦めてた。デートがキャンセルされただけで、なんで?私のこと嫌いなの?本当は会いたくないの?とかって仕事の都合とかでもマイナスにしか考えられなかったけど、最近は、まあしょうがないよね、じゃあ空いた時間何しよう、本読もう、英語の勉強しようって自分の人生が恋愛によって支配されてないからその予定が無くなったって痛くも痒くもない。もちろん、残念だったなって思うけど、悲しむけど、でもだからってそれによって自己嫌悪に陥るところまでは行かなくなったかな。

そしてやはりうまくいく恋愛はうまくいくし、行かない恋愛はうまく行かない。どう頑張ったって、就活と恋愛は人間同士の気持ちが関わることで、それに関しては流れに身を任せるしかないんだと思い始めた。TOEICの試験は勉強すればなんとか点数を伸ばせた。でも人の気持ちって、私が考えつく以上にもっと複雑で、宇宙レベルで広くて深くて、そしてそんな人間が何億人といるから何億通りあって、相手を理解しよう、こうして欲しいとか思っても無駄無駄。

とりあえず何が言いたいかって恋愛をしてようが、してなかろうが、孤独なときは孤独だし、恋愛が始まればその彼との関係で悩むし、イライラするし八つ当たりした自分に自己嫌悪を抱くし、、、悩みは尽きない。

今この部分にフォーカスすると、何やってんだって思うけど、10年後の自分から見てみると割と私って頑張ってたじゃん、いろいろ悩んで成長してるじゃん、と思っているかもしれない。というか、そうだといいな。恋愛をしてないかしてるかで、私という人間を判断されたくない!何をするもしないもその人の自由。私たちは他者の意見にそれほど左右される必要なんてこれっぽっちもないし、もっとリラックスしながら生きていっても良いんじゃないかなと思う今日この頃である。

他人へのメッセージと見せかけて、実は誰よりも自分自身に言い聞かせてるこのエッセイ。まずは自分から動こう。変わろう。大事にしよう。
人生辛いけど、その中にあるたまの楽しみを大事に今後も生きていきたい。


ps.付き合って約1ヶ月くらい経って書いたこのエッセイ。今は3ヶ月ほど経つのだが、3ヶ月も経てばようやくお互いの本性がちょいちょい出てきて、特に彼の方は私の豹変ぶりに驚いているようだが、それでもまだ好きでいてくれるモノ好きな彼に感謝しながら今後の行方が楽しみである。乞うご期待。

あちゃちゃちゃちゃ〜。