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煩常識論(常識ほどうるさきものはなし)

本日は仕事を終わって公園で少し読書をしていました。
グランドでは子供たちが無邪気に遊んでおり、それを耳にしながら本を読んでいたのですが、ふと思ったのです。

結構騒がしいのに、それを気にせずにスラスラと本が読めるなと。
(人間の脳は必要な情報にフォーカスするようにできているので当然なのですが)
もしこれが図書館の中で、誰かが騒いでいる場合、煩くて読書に集中できないかも、と思いました。
図書館は本を読むところなので、静かにするのが常識です。そこで騒がれると、

「煩(うるさ)いな」

と思うわけです。
しかし、騒ぐ声は同じでも場所が違うと感じ方も違うわけです。
これは心が常識を基準にして外界を認知するので、煩いと思うのです。
常識を基準として、

「静かにすべきところなのに、なんで静かにしないのだ」

という心中の声がするので、静かな場所では集中できないのでしょう。常識を基準とした怒りの声と言ってもよく、本当に煩いのは外界の音ではなく、心中の怒りの声だと思います。

まあ、これは思考実験的に思ったことなので、実際に図書館で誰かが煩くしても、私はあまり気にしないかもしれませんが。

ただ、なんとなく

「常識ほど煩きものはない」

と思ったのです。
まずは、自分の中にどのような常識が強くあるのかを観察してみるとよいと思います。

常識とは、社会に適応するためには必要な要素なのですが、これが強すぎると自身を煩わせることとなります。これを見つめることで、少しその煩いが収まるのではないでしょうか。

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