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「ご縁」について、考えていること

日頃から「ご縁」という言葉をよく使っていて、会社のスタッフに「松林さんにとって”ご縁”ってどんなものなのですか?」と聞かれたので、「ご縁」について考えていることを書いてみたいと思います。

「ご縁」を意識するようになったのは、いまでもお世話になっている先輩方との出会いが始まりです。

私は、ストリートスマートを創業する前、全国で洗車場を運営する会社で働いていました。学生時代にインターンとして入社し、何もわからないところからのスタートでしたが、厳しい環境でありながらも、愛情を持って仕事のやり方を叩き込んでもらいました。20代半ばには取締役となり、百数十人の部下を持つようにもなりました。

詳しい創業ストーリーはこちら

当時の私は「将来は、お金持ちになりたい!」と思っていて、思い返すとそれは、コンプレックスの裏返しでした。昔から、好きなことには没頭し、とことん深堀できるのですが、自分の興味のないことは、本当に興味が湧かず、うまく話を繋げることができません。おのずと、人付き合いには苦手意識があって、仕事関係の交流会などは重い腰を上げてなんとか参加するものの、苦痛で仕方ありませんでした。

そして、そういった交流会で中心となっているのは決まって、コミュニケーションが上手な人。どんな話題も上手に拾って、広げて、とても楽しそうに見えました。「僕は、こういう人にはなれない...。このコンプレックスに打ち勝つには、お金持ちになることだ!お金持ちになれば、もっと幸せになれる」当時は、そう思っていました。

その後、30代を前にして独立し、ストリートスマートを創業。
「これから自分の事業を作って、お金持ちになって、幸せになるぞ!」と意気込んでいた訳ですが、実はパタリと人との交流がなくなってしまって、ハッとしました。それまでの私は「〇〇会社の松林」として人と付き合ってきただけで、「松林」という人間としての繋がりを軽視してきてしまったのだと気づいたのです。無理をして、虚勢を張って、なんとか人と付き合ってきたつもりだったけれど、それは所属していた会社から離れるのと同時になくなってしまうような、儚いものでした。

試行錯誤しながら会社の立ち上げに奔走する中、ある先輩経営者の紹介で、いまのストリートスマートの主軸となっている事業をスタートすることになります。さらに、その方の紹介で出会った、現在も弊社の代表世話人を勤めてくださっている方は、その後の会社の成長に大きな影響を与えたお取引先や、のちの役員・メンバーを次々と紹介くださいました。当時、私が提供できることは限られていたにも関わらず、私やストリートスマートのことを自分ごとのように考え、応援し、多くの人との繋がりや機会をもたらしてくださったんです。

この時よりお世話になっている先輩経営者の皆様は、とにかく人との関係性を大事にしている人たちでした。

当時の僕のように損得で動くのではなく、その人のことを真剣に考えて、動く人。自分の商売に繋がるかどうかは、二の次のように見えました。そして「〇〇会社の〇〇さん」という会社の看板ではなく、あくまで自分の名前で、個人として人付き合いをされている人たちでした。

そんな先輩方に出会ったとき「私もこういう生き方がしたい。人との関係性を大事にして生きていきたい」と思うようになりました。これが、「ご縁」を意識するようになった原点だと思います。

いざ、自分もこうなりたい!と思ったとき、まずは先輩方の真似をすることにしました。

それまでの私は、自分の持っている、目の前のものを売ることだけを考えていたので、押し売りになってしまうこともあったと思います。

ただし、先輩方は自分の手元にないものであっても「売って」いました。自分が提供できなかったとしても、提供できる人を紹介できれば、なんでも「売れる」。「売れる」という言葉は、自分の利益を得るためというイメージを持つかも知れませんが、「この人の役に立つために、何かをしたい」という意味合いですね。相手の課題を解決できるのは、自分の商品ではないかもしれない。それでも構わない。「その人に役に立つこと」が目的だからです。

そうなると大事なのは、相手の話をしっかり聞くこと。ニーズがわからなくては、役に立つことはできません。

いまでも、商談に行くときは必ず、どうやったらこの人の役に立てるだろう?という気持ちで望みます。これが「ご縁」を大切にするために、つねに意識をして、実践していることです。

また、私が所属している経営者コミュニティが大切にしている価値観に「1杯の水を持ち寄れ」というものがあります。コミュニティなどに参加するときは、

必ずそれぞれが1杯のコップに水を入れて持ち寄る。それぞれが持ち寄ったその水を樽の中にいれて、かき混ぜ、帰るときは、また1杯のコップに水を入れて持ち帰ることができる

というものです。「手ぶらで来て、何かいいものがもらえる、と受け身の姿勢でいるな」「つねに、自分には何ができるのか考えろ」ということ。そのコミュニティには20代の経営者も多くいますが、たとえ、他の経営者よりも経験が少なかったとしても、手や足を動かして何かで貢献することが前提になっているんです。

「ご縁」が広がっている人は、必ず、1杯の水を持ち寄る人だと思います。

最近、よく実感するのは「類は友を呼ぶ」や「因果応報」という言葉。
自分がどんな人と一緒にいるのか、どこに身を置くのかは、とても大事です。

もちろん、固定的な人間関係だけになってしまうのも、自分の幅を狭めたり、変化に弱くなってしまう可能性があるので、定期的に新しい環境に飛び込むようなチャレンジも意識しているのですが、それでもなお、自分が尊敬する人や共感する人の近くにいたり、考え方を学ぶことはやはり大事です。大切にする価値観が近い人が集まるし、そこからまた「ご縁」が広がっていくからです。

「ご縁」や「紹介」というのは、関西の文化なのかな?と思ったこともあるのですが、違いますね。関東に出ても「ご縁」を大切にする人の周りには、そういう人たちが集まっているなと感じます。

「ご縁」というと、すごくウェットな印象を持つ人がいるかも知れません。ときに、自己犠牲を伴ってしまうような。ただ、どちらかが我慢をしている関係性は、上手くいかないし、続きません。「ご縁」と言っても、知り合ったすべての人と仲良くする、といった意味ではないんですね。

先ほどの「1杯の水を持ち寄る」に共感、実践しているかどうかもそうだし、時期によって、付き合い方の濃淡や距離感が変化することももちろんあると思います。お互いが気持ちのよい距離感が保てる関係性が、理想的です。

「ご縁」を大事にするようになって、自分の人生において、幸せ度が上がった気がしています。「ご縁」というものを教えてくださった先輩方は、本当に一生の師匠です。感謝しても、しきれません。

まだまだ先輩方の足元にも及びませんが、これからも、自分が持ち寄れる水は何か?つねに考え、行動し続ける人でありたいと思っています。

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