見出し画像

対馬移住することを決めた①

MB改め、林田章紀@対馬です。
ヘッダーでわかる通り、対馬は日本本土より韓国の方が近い。釜山までは距離にして約50km、船で1時間で行けるそうだ。

ツイートした通りで、この4月から対馬に移住することになった。たまたま4月1日だったこともあって、数人の友人はまだ信じていないようだ。笑

いろんな方から長崎に帰るのかと言われるが、帰る意識はあまりない。むしろ行くと言う感じでの移住。対馬は長崎だけど、長崎より福岡の方が近い離島なので、長崎感はないと言ってもいいような気もする。

しかしながら、長崎県に戻るという意味では関東などの都会住むに人間からすれば、ざっくり九州は一つの大きな離島と思う人もいるだろうから、帰るという表現は正しいだろう。(実際にそんなようなことを言われた笑)

今回の渡航は対馬に住むための準備である。正確には4月23日から対馬に住み始める予定だ。ちょうど少し時間ができたので、これまでの仕事のことやこれからの仕事のことを書くことにする。対馬に移住するに至った経緯については4月23日以降に別で書く予定なので、暫しお待ちを。

厳原の山ちゃんで食べた
イカの口の唐揚げ

スポーツでメシを食いたいと思った

元々4年間競技を頑張って、地元で体育教師になるために順大に進学・卒業したが、競技活動への可能性(頑張れば実業団行けるかも)と将来の仕事をどうするか決めきれてなかったことから、大学院に進んで2年間のモラトリアム期間を設けることした。結局、2年間の競技実績は学部の頃を越えられず、学業も中途半端に終わる。しかし、今まで陸上しかしてこなかった自分だったが、それ以外のことに触れられる時間を十分に作ることができた。特に、現在タレントで活躍している武井壮さんに出会い、色々なところに連れて行ってもらったことが今の人生に繋がっている。

武井さんとの謎の体験
仙台貨物 ゲイダーズ

特に大学院期間中に就職活動はすることはなかった。漠然と頭の中にあったのは『スポーツでメシを食いたい』。昔からスポーツは好きだったし、何よりスポーツで食うということが面白そうに見えた。そう思っていた時、縁のあったサプリメントのベンチャー企業に就職することに決めた。今思えば、サプリメントとスポーツの業界は繋がりがあると勘違いしていたのかもしれない。とりあえず、会社員を一年やれば生きていくための何かしらの能力はゲットできるだろうと。

順大コーチ時代

就職と同時に、順大陸上部の越川監督から混成ブロックのコーチの声がかかり、コーチングを始めることになる。半年経った頃、『ワンチャン、スポーツのコーチング一本でやっていけるんじゃない?』『陸上界でまだ教員以外で指導者でメシ食ってる人いないよな?』とこれは面白そうだと思い、『スポーツでメシを食う=コーチング』でやっていくことを決めた。期限は4年間、それで結果が出なかったら諦めて違う道を探す。それを理由に会社も1年弱で辞めた。

その頃、始めたブログがこれ。懐かしい。


2013年日本インカレ
優勝したの誰?

コーチの現場に立ったことなんてなかったし、大した実績もない自分に選手たちはよく付いてきてきてくれた!・・・か、わからないが、選手たちのやる気や努力、そしてその頃のメンバーがよかったことも相俟って4年間で良い成績を残すことができたし、何より日々の活動が面白かった。ここで良い経験と成長をさせてもらったと本当に思う。選手たちと環境をくれた順大に感謝。

順大混成ブロック集合写真

またコーチングの世界にのどんどんのめり込んでいき、本場や本物を見たい気持ち、もっと面白いことがしたいという気持ちがどんどん強くなっていく。2014年には十種競技の本場ドイツの選手権を観戦。2015年には当時の十種競技の世界記録保持者Ashton Eatonを指導しているHarry Marraコーチの元に1ヶ月学びに行く。2016年には教え子の松下祐樹が五輪代表に選ばれ、リオデジャネイロに帯同する。

2014年ドイツ選手権
大男ばかり
2015年California Santa Barbaraにて
世界のトップを学びに
2016年 リオデジャネイロ五輪

2016年シーズンが終わって、もとより決めていた4年間が終わる頃。学生のコーチングを辞めて、トップアスリートのパーソナルコーチとして活動することを決めた。もっと面白い活動をするために。

実業団のパーソナルコーチ時代に続く・・・

明日以降、対馬行きを決めた②で書きます。

いいなと思ったら応援しよう!