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松本本屋案内 1

高美書店

松本の比較的中心部の通りに今回訪れた高美書店はあります。この通りは近くに信毎メディアガーデンがあります(過去に一度だけ、本屋とは一切関係ない話(上田電鉄の関係)で信毎の取材を受けたことがあります…結構酔ってたので何コメントしたのだっけ…とはなってますが)。

高美書店

さてこの高美書店、どうやら創業は寛政9(1797)年、江戸時代に遡るようです。現存する松本市で最古の新刊書店となります。創業以後は出版活動もやっており(江戸期の本屋は出版活動も取次もやる本屋はわりとあります)、江戸時代が終わった明治時代には活版印刷を導入し積極的に出版活動を行っていたみたいです。この辺の詳細については金沢文圃閣より『明治期書店文書―信州・高美書店の近代(出版流通メディア資料集成(五)』が6冊揃で出ているので、こちらを読むほうがいいかもしれません。それか『信州の本屋と出版』(高美書店)にも記載があります。多分後者の方が手に入りやすいかもしれません。
棚については岩波の本が充実していました。奥には古本がいくらか。大学書林の『○○語四十日』シリーズが結構ありました。
さて、目的の本を買ったあとに軽く話を伺う機会がありました。そこではかつて30軒以上あった松本の新刊書店(長野県書店協同組合の松本支部加盟数)も、今では1桁に激減した、という話をしていただきました。手元にある『長野県書店商業組合 八十五年のあゆみ』を見ると、この本が発刊された当時(1993年)は組合に加盟している松本市の本屋は26軒、その15年後に刊行された『長野県書店商業組合百年のあゆみ』では17軒(中信支部加盟店のうち、「松本市」に店を構えている数)と、30軒には満たない数ですが、昔は松本市の本屋が多かったことは間違いなさそうです。また、この高美書店については江戸期には往来物、明治期には教科書の出版や販売を手掛け、今日では外商で松本市内の学校教科書を取り扱っているとも。「この辺は『信州の本屋と出版』に載っているけど」と前置きされながら。やはり地方都市の中心的書店では教科書販売等をやっていく、ということはわりとあるパターンかもしれません(これについては上田市の平林堂書店を思い浮かべました)
店を出たあと、店舗脇を見ると「慶林堂」という古本屋の名前が。後ほど書肆秋櫻舎の店主に聞くと、高美書店の従業員がやっていた古本屋とのことでした。もしかすると現在高美書店が古本を売っているのは、この慶林堂がきっかけなのか、と思いましたが果たしてどうなのかは要調査となります。
「慶林堂」の屋号は明治期に高美甚左衛門(4代目)が印刷関連で使用していたことは、『信州の本屋と出版』を見てわかりました。後に印刷は吟天社となっています。『回顧の五十年 : 鶴林堂書店史』には「吟天社並鶴林堂出版目錄」という資料があるところから、吟天社と鶴林堂が関係しているところは想像できるかと思います。なおこの資料、『信州の本屋と出版』によればすべて吟天社ではなく「実際はそのうち九点は、慶林堂高美甚左衛門の出版物である」と指摘されています。
吟天社の株券渡帳について見ると、「小松総一郎」なる人物が吟天社に出資をしていることがわかります。『回顧の五十年 : 鶴林堂書店史』の系図を見ると、「小松惣一郎」なる人物がいますが、『信州の本屋と出版』によれば「小松甲子太郎(総一郎の長男)」と記述があるので、「小松総一郎」=「小松惣一郎」ということになります。小松甲子太郎は後に高美書店に入店し、上原才一郎とともに上京しています。これは「東京日本橋の支店(当主高見年之助、主商いは麻、莨、紙)を拠点に「博愛書屋」と称して日本史の教科書『日本史要』を出版し、これを全国的に売り込むため」とのこと。ここに出てくる上原才一郎、手元にある『東京書籍商組合史』には有斐閣の2代目、後に日本出版配給(日配)の取締役社長となる江草重忠の隣に副組長として写真が載っています。この上原才一郎は高美書店を辞めた後、光風館書店という出版社を立ち上げているようです。明治の後半から東京書籍商組合の評議員となり、大正末期から副組長となっています。調べてみると東京書籍商組合の組長になっているようですが、手元の資料からはわからなかった(昭和2年までの資料だったため)ので、次世代デジタルライブラリーで検索してみると、このような記述が『東京書籍商組合五十年史 追補』にありました。

明治三十七年本組合評議員ニ當選シ以降三十四年其ノ間副組長タルコト七年組長タルコト二年昭和九年名譽評議員ニ推薦セラル君

東京書籍商組合五十年史 追補

上原才一郎が東京書籍商組合の副組長だったのが大正14~昭和6年、組長だったのが昭和7・8年、ということになります。

さて、上原才一郎からは戻って小松甲子太郎と吟天社について、明治21年に松本で起きた火災で吟天社は焼け、翌々年に高美書店の本店と支店とともに新築。高美書店の支店は共同経営とすることになったようです(火災の辺りから莫大な借金を高美が抱えたからか?)。共同経営を履行する際の約定書には、総一郎ではなく甲子太郎の署名押印がなされています(高美書店側は高美実五郎。総一郎(惣一郎)の没年がわからないのですが、明治16年に小松家の家督は甲子太郎に相続されている(『回顧の五十年 : 鶴林堂書店史』より)ので、明治10年代後半~20年代に取り交わされたこの約定書では小松家当主の甲子太郎が署名したのではないか、と勝手に思っています。根拠はない。)。『信州の本屋と出版』によれば、「その後この共同経営は解消されて、高美の慶林堂支店は小松の経営する鶴林堂という本屋になるが、今はない。」とのこと。松本に行った後に軽く鶴林堂について調べて、高美書店から独立した、程度の認識でしたが、なかなかな出来事があったようです。

余談ですが、吟天社の出資者には長野県の方にはおなじみ浅井洌が名を連ねていました。

『長野県書店商業組合 八十五年のあゆみ』にある「復刻・信濃書籍雑誌商組合30年史」では、創立当時の組合員名に「慶林堂 高美實五郎」と記載があるので、慶林堂ってかなりいろいろ使われていて訳わからなくなってしまいました。なお、高美實五郎の左隣には小松甲子太郎の名前が載っています。

慶林堂


今回買った本

今回買った本は『一九が町にやってきた』と『信州の本屋と出版』の2冊。両方とも高美書店が出版した書籍となります。著者は両方鈴木俊幸。出版史をかじっている方にはおなじみの方ですね。自分もよくお世話になってます。地方出版史についてはそこまで残らない場合がある中、このような本を出版しているのは個人的に非常に嬉しいものです。ただここに書いてある本屋は高美書店を除いてほとんどすでに閉店しているとのこと…ただ見た感じ西澤書店(今の長野西澤書店)はありますね…



自分が高美書店を訪れた時は2冊ともまだ在庫はありました。ただ版元URLが存在しないので、他の箇所からのリンクで代用しています。


おまけ、というか余談、というか言い訳

深夜テンションで書いてたらこんな字数になってしまいました……
上原才一郎が出てきてからは手元の資料をひたすら見て脳汁がドバドバしてました。ふとしたきっかけで買った本がどこかわからないタイミングでつながるこの瞬間、最高の瞬間の一つだと思ってます。
参照した『回顧の五十年 : 鶴林堂書店史』ですが、2022年5月よりスタートした国会図書館の個人送信対象資料です。今回はじめて個人送信を使いながら書いてみました。この資料、1940年までの50年はまとまっているのですが、その後の60年間の話とか、鶴林堂からは出てないようです。もしあったら書名だけ教えていただければ、非常に嬉しいです。
(『回顧の五十年 : 鶴林堂書店史』の年表、年号が皇紀と和暦だけなので少々混乱します。1940年を基準にすれば皇紀は楽に読めますが、スイッチの切り替えに時間が少しかかるのがちょっとつらい

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