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短編小説:リメイク

これも、とある短編賞に応募して1次選考すら通らなかった小説。自分の頭の固さを痛感したけど仕方が無いね。


 ついにやってしまった。私は溜息をつく。目の前の箱には『Re;mefe』の文字。鏡には、腫れぼったい目の芋女。
 可愛くなりたいなんて、思ってはいけない。だって私はブスだから。なるべく明るく、元気なピエロとして生きてきた。でも、さすがに片想いしていた人に笑われたのは傷ついてしまった。ブスは傷ついても、泣いてはいけない。そう固く決意していたのに、二日前に酒を開けまくってわんわん泣いてしまった。記憶が無くなるまで飲んで、そして今日、『これ』が届いた。
 名前は知っていた。リメーフ。最近流行りのカラーコンタクトレンズ。自然に盛れる、おまけに色も沢山あって、かなり評判がいい。
 コンタクトは使ったことがある。昔、眼鏡をやめたら少しは美人になるんじゃないかなんておだてられて、コンタクトに手を出した。次の日眼鏡を外した私に、同僚たちは少し笑って、
「うん、やっぱそうなるわな」
と言った。やっぱって何? あんたたち騙したな! そう言ってわざとらしく足をダンダンと踏み鳴らして見せた。内心はそりゃ号泣モンだった。
 脱したい。別に、女優さんとかみたいに、キラキラになりたいわけじゃない。ただ、お洒落がすこーし楽しめるくらい。ただ、デパコス売り場で肩身の狭い思いをしないくらい。ちょっとでいい。ちょっとでいいから、マシになりたい。
 垢抜けるには、眉と髪色、それから目の色を変えるのが効果的だって何かで見た。それを多分心のどっかで覚えていたんだろう。酔った勢いで頼んでしまったのだ。
「……自分で楽しむくらい、ねえ?」
 鏡の中の、反転されたブスに話しかける。鏡の中のブスも、同じように話しかけてくる。ちょっと鬱陶しい。
 深呼吸。パッケージを開けて、中身を取り出す。コンタクト本体が入ったパッケージと、説明書らしき紙が転がり出た。とりあえず、コンタクトの入れ方は知ってるから入れてみることにした。薄い、グレーとブルーの境目のような色。取り出して人差し指に乗せると、その薄さも相まって、なんか綺麗な羽みたいにも見える。左手で、瞼が閉じないように引っ張りつつ、レンズを近づけていく。入ると、片目が少しクリアになった。同じ要領で、もう片方にもレンズを入れる。
 目の色が変わった。確かに少しグレーに近づいている。クリアになった視界で、顔全体をよく見てみる。透き通るような綺麗な瞳、ちょっと下がった目尻。少女らしく控えめな鼻にほんのりピンク色の唇。白い歯は秩序正しく並び、パーツは左右対称で柔らかな皮膚の上に並んで……?
「ちょーっと待った!」
 思わず声が出た。一人暮らしの部屋の中に、標準女性より低いボイスが響き渡る。鏡を勢いよく机に伏せる。目を閉じ、さらに深い深い深呼吸をする。
 それもそのはずだ。なんだ今の顔は。私と言えば主張の激しい鼻とサツマイモみたいな色の唇が特徴だったはずだ。歯並びも悪くてガタガタ、おまけにコーヒーに負けて白くもない。肌なんか、その治安の悪さに警察すらも逃げ出すと自負している。
 それなのに。私は恐る恐る鏡を上げた。この鏡に映っているのは、どう考えても私ではない。いや、厳密に言えば私だ。微かに私だった面影はある。とはいえ、これは私の知っている『私』ではない。明らかに、カラーコンタクトだけが為せる業ではない。
 急いでコンタクトを外し、鏡を見る。そこにいるのは私だった。三十二年、毎日毎日見てきた私の顔である。確認のためもう一度コンタクトをつけて鏡を見た。鏡に映っているのは、『私』じゃない。ちなみに、と右目だけにコンタクトを入れてみる。これは視力の問題なのか、普通に視界がぼやけてしまった。どうやら、このコンタクトを入れていると、自分の顔が綺麗に見えるらしい。いや、自分にだけ綺麗に見えて何の意味があるんだ。
 大パニックを起こす頭を落ち着かせながら、私はさっき転がり出た説明書を拾い上げた。コンタクトの付け方などが羅列されているところの下部分に、何やら説明が書いてある。
【『Re;mefe』。それは、もう一度新たに(re)、人生を(life)、作り変える(remake)ということ。私達開発チームは、このコンタクトに特別な名前を付けました。貴方の新たな門出をサポートする。これが、『Re;mefe』の役割です。私は生まれ変わったんだと、貴方が心から笑えることを祈って。】
 
 不思議なカラコンを購入してしまってから、二週間が経過した。
「北原さん、北原さん!」
 突然、昼休憩に後ろから声をかけられた。驚いて振り向いたら、目の前にきゅるきゅるの瞳があった。
「おわっ、どうしたの竹下さん」
 私より三歳年下の竹下さんは、とっても可愛い。大きな目は、泣いてるのかと勘違いするくらいきらきら。見る度ハムスターを思い出してしまう。
「一つお聞きしたいことがあって」
「あ、そうなの? なんかトラブル?」
「いえ、仕事の話じゃなくて」
 竹下さんは、腰をかがめて私の耳に顔を寄せた。同性でもドキドキしてしまう。ふんわりとシャンプーの匂いがして、くらくらする。
「北原さん、最近急激にお肌綺麗になりましたよね? スキンケア何使ってるのかなって」
 え、と思わず竹下さんを見る。竹下さんはいたずらっぽく舌を出して、仕事と関係なくてすいません、と笑った。
「スキンケア変えたとか、分かるもんなんだ……」
「そりゃ分かりますよ! 私も色々試してるんで、もしよかったら教えてもらえないかなって」
 何度も裏ごししたプリンみたいな肌で、竹下さんはそう言った。
 外出時に付ける勇気は出なくて、結局家の中だけであのカラコンは楽しんでいた。毎日、綺麗になった顔を見ていたら、どうにかしてこの顔に近付きたいと思うようになった。幻じゃなくて、現実でもこうなれたらどんなにいいだろうと思った。整形がよぎったけど、お金なんかない。だから、肌だけでもマシになろうと思った。
「あー……私もネットで評価よかったやつ適当に買い込んでみただけだから何がいいのかよく分かんなくてさ……」
「ちなみに何使ってるんですか?」
 きらきらうるうるした目に見つめられる。私は、机の上のメモに買ったばかりのクレンジングやらパックの名前を思い出せるだけ書き出した。仕事場の机のメモに、電話番号以外の文字を書く日が来るとは思わなかった。竹下さんと話す機会が来るとも、思ってなかった。
「わー、ありがとうございます! ちょっと試してみます!」
「いや、そんな……私のなんか参考になるか分かんないよ?」
 思わずそう言うと、竹下さんは恥ずかしそうに笑った。
「私、最近どうやら肌質変わっちゃったみたいで。使ってた化粧水とか、ことごとく合わなくなっちゃったんです。だからほら、ここ」
 竹下さんが前髪を上げて、おでこを指差した。よく見ると、うっすらと荒れている。
「そうだったんだ……綺麗にしてたからショックだったんじゃない?」
「そうなんですー! でもまあ肌質変わっちゃうのはしょうがないから、また一から探し直します」
 ぐっと小さくガッツポーズをした竹下さんは、とても可愛かった。昔の私だったら、絶対友達になれないタイプだと思う。だけど今は無性に、竹下さんと友達になりたかった。
「分かった。私肌は強い方だから、試してよかった物とか竹下さんに言うね」
 ほんとですか、と目が輝く。この目の輝きも、生まれつきのものじゃないのだろうか。努力して努力して、手に入れたものなんだろうか。
「じゃあ、私もよかった物またシェアしますね」
 昼休憩が終わる頃、竹下さんはそんな言葉を置いて去っていった。メモ帳が、さっきボールペンで書いた文字の形にへこんでいる。何だか不思議な気分だった。

 カラコンを付け始めてから一か月。私はデパートのコスメ売り場に立っていた。見慣れたロゴの下、選べない量のルージュに囲まれて。
 鏡に映る自分を見ていて、もしかして唇の色はルージュでどうにかなるのではないかと思い立ったのだ。着たかった服がダイエットのおかげで入ったことだし、自分へのご褒美はちょっと奮発してもいいだろう。
「試してみますか?」
 売り場でうんうん唸っていると、声をかけられた。髪をぴっちりと上げた店員さん。
「あー、何が似合うのかさっぱり分からなくて。試してもいいですか?」
 どうぞどうぞ、と店員さんに椅子を勧められた。気になっていた色をいくつか示すと、店員さんが腰のバッグから出した刷毛で、手際よく私の唇を鮮やかにしていく。
 正直、唇の色なんかもうどうでもよくなっていた。今、私は店員さんとすんなり会話が出来たのか? これまでの私だったら、変な笑顔と共に拒否して、後で後悔していたはずなのに?
「まず一色目ですね。こちらいかがですか? 赤色が強めのお色味ですが……」
 店員さんに差し出された鏡に、『私』はいなかった。そりゃあ鼻の主張はまだ激しかったし、歯の並びは相変わらず空き巣に入られたのかってくらいとっ散らかってたけど。三十二年間付き合ってきた顔だったけど、だけど何となく生まれたてみたいな顔でもあった。
「……お気に召されました?」
 その声でやっと我に返った。ハッとして店員さんを見ると、クレンジングの染みたコットンを持ったまま私を覗き込んでいる。
「あ、いや、すみません! あの、やっぱり、いいですね、メイクって」
 つい過去の私が顔を出して、声を上手く出すのをせき止める。店員さんは眉を八の字にして笑った。
「いいですよね、メイクって。自分なのに、まるで別人になれるから」
 じゃあ、次のお色塗りますね。その声を聴きながら、私は家にあるカラコンを思い出していた。今ならちょっとだけ、あのカラコンを入れて外に出られる気がする。次の休みには、あの薄いグレーの目で、竹下さんが教えてくれたヘアオイルを買いに行こう。いつもより少しだけ、胸を張って。


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