ならんだから【三題噺トレーニング】

題:「22歳」「時計」「合宿」


ため息をつきながら、女将さんが裏に戻ってきた。
「どうしたんですか」
私は皿洗いをしながら尋ねる。女将さんは、いやあね、と言いつつ休憩用の椅子に腰を下ろした。
「だから私は反対だったのよ、冬ちゃん」
「何がですか」
「貸し切りよ、貸し切り」
ああ、と私は、ため息とも嘆息ともつかない返事をした。
「何かあったんですか」
「若い子って怖いわ、ほんとに」
女将さんの話によると、どうやら質問攻めにあったらしい。
私がバイトしているこの民宿に、数十年ぶりに大量の小学生が来た。どうやらスポーツクラブの合宿らしい。私の通勤経路とは逆方向なので詳しくは知らないが、そういえば近くに大きなグラウンドのようなものがあった気がする。
昔は修学旅行生やら合宿生やらを積極的に受け入れていたようだが、先代の女将さんが受け入れを辞めてしまった。代々大切に扱ってきた大きな振り子時計を壊されたのが原因らしい。動くには動くのだが、いくら直しても正しい時間を指さなくなったようだ。まるであの有名な曲のモデルなんじゃないかと思わせるような、のっぽの古時計だったそうだが、何せとても古くからあるシンボルのようなものだったので、先代の女将さんは大層ショックを受けたらしい。
「あの倉庫の中には何が入ってるんですかだの、あそこのドアは開かないんですかだの、あの押し入れは開けていいんですかだの、もう大変だったのよ。確かにうちは古いけど、そんな怪談みたいな話は一切無いんだから」
女将さんは、ああ疲れた、と言いながら、そのおしとやかな見た目に似合わないえげつない色のエナジードリンクを飲み干した。
「また何か壊されたら敵いませんね」
「ほんとよ、冬ちゃん。今日冬ちゃん誕生日だってのに、お祝い出来ないほど忙しくしちゃって……ごめんね」
ああ、いえ、滅相も無い、などと合ってるのか合ってないのか分からない日本語で返答する。女将さんの言う通り、この民宿は古いけど、そんな怪談みたいな話はない。どこのドアだって開けてくれていいし、ちょっとかび臭いかもしれないが上段の押し入れだって開けてくれて構わない。倉庫の中も散らかってはいるけど、お札も貼ってなければ日本人形も落ちていない。とはいえ、もしかしたらそれくらいの細工をしておいた方が、子供たちもビビって大人しくなるのかもしれない。
「何か仕込んでおきましょうか。ほら、どっかの扉を開けたら虫のおもちゃが落ちて来るとか」
私が言うと、女将さんは声を上げて笑った。
「それくらいはやってもいいんじゃない? 誕生日の子がサプライズ仕掛けるなんて、なんだかおかしな話ね」

女将さんの許しが出たので、近くの駄菓子屋でガチャガチャを回して、チープな虫のおもちゃを手に入れた。倉庫の扉にでも仕込んでやろう。せっかくなので、隣にあったわんこの缶バッジのガチャガチャも回す。これは自分への誕生日プレゼントだ。半ばスキップ気味で戻ると、引率の先生が何やらうろうろしていた。
「どうかされたんですか」
私が声をかけると、若い男の先生は首を捻りながら振り向いた。
「いやぁ、さっき生徒が一人トイレを借りると言ってここに戻ったんですが、いつまで経っても帰ってこなくて。探しに来たんですがいませんね」
はあ、と私は言った。
「でも、かくれんぼ出来るほど広い民宿じゃないですよ」
「一通り怪しいところは探させていただいたんですが……外で迷子になったんでしょうか」
「でもこの辺も見晴らしはいいですし、なんなら外に出ればグラウンド見えますよね? 迷子になりようがない気がしますが」
「まあ、小学五年生ですからね……好奇心は旺盛なので。困ったな、もうすぐ昼になるっていうのに……もう少し探してみますが、万が一見つからなければ少し騒がしくしてしまうかもしれません」
警察に連絡する、ということだろう。では、と会釈して出て行った先生を見送る。
「あら、冬ちゃん。帰ってきてたの」
女将さんが奥から現れた。
「あ、女将さん。聞きました? 先生から」
「ええ、私も探すのを手伝ってたところ。やあねぇ、これだから私は反対してたのに、あの人ったら『活気が足りん』とか言って受け入れちゃうんですもの。これで何かあったら大ごとよ」
もう虫のおもちゃ、私の誕生日どころではない。ため息をつき続ける女将さんに、私も周辺探してきます、と告げ、私は民宿の外へ出た。

結局、生徒は見つからず、『騒がしく』なった。女将さんはこの騒動の元凶であるオーナーを正座させて詰め寄り、今いる生徒たちは民宿の中から出ないようにと言われ、それゆえに私は生徒たちが何かを壊さないよう常に見張っていなければいけなくなってしまった。
「ねえねえ、お姉さん」
小学六年生だという男の子たちが私の周りを取り囲んだ。
「あそこの倉庫やべえって! 絶対なんかいるだろ!」
「いないよ……」
「いるって! 怖いじゃん!」
「暗くて怖いだけだってば。あそこは定期的に掃除してるし、壊れた時計があるだけでしょ」
私は完全に参ってしまった。ふと、午前中ポケットに入れた虫のおもちゃを思い出す。こんなもので大人しくなるとは思えないが、まあやれることはやっておこう。子供たちを振り切って、私は倉庫のドアを開け、おもちゃを仕込もうとした。
「ドーン!」
背中に衝撃を感じる。ごり、としたその感触が、小さな足の裏であることに気付くのに数秒かかった。ばたん、と背後で扉が閉まり、視界は真っ暗になった。あのガキ。
「ちょっとー……いい加減にしてよね……」
扉の取っ手を手探りで探す。ここには何度も来ているから、取っ手の場所はすぐ分かる。確かこの辺に……ない。
「なんで?」
取っ手が無い。目が慣れてくる。取っ手があるはずの部分に、取っ手がない。
「な、なんで……」
かちかちと、時計の秒針の音が鳴っている。子供に壊されて傾き、正しい時間を指さなくなってしまった時計。時計は、二十二時二十二分を指している。
そういえば今日私、二十二歳になったんだっけ。
意味も分からず、ああ、だからか、なんて納得しながら、私はその場にしゃがみ込んだ。秒針の音だけが響いている。外からは、何の物音も聞こえない。

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