短編小説:可愛いからだ

短編小説。

「柚月は可愛いよぉ、それに人は顔が全てやないよ?」
可愛い女が何を言う。
ここで反論すれば、私は「慰めてくれている友達に逆ギレするヤバい女」になってしまうから、言いたいことは飲み込んで、ありがとうと言う。言うのだ、ありがとうと。

朱里は可愛い。ぱっちり二重に、長いまつ毛。主張の少ない鼻に、口角の上がった唇。輪郭は控えめな卵形、ブルベ冬、骨格ウェーブ。制服のネイビーがやけに似合い、白いリボンが可憐さを引き立たせ、少し色素が薄くて茶色がかった髪は大正解の天然パーマ。足は真っ直ぐ細く伸び、真っ白のスニーカーがダサく見えない。
朱里が高校卒業後にこの街を去ることが決まって、二週間が経った。
「やっぱ寂しいて〜。柚月も来ぉへん? 東京。ルームシェアしようやぁ」
教室の外にはギャラリーが出来ている。立ち止まって教室の中を覗き込む人こそ少ないものの、通りすがりにこちらを見ていく人が歩行速度を少し遅くするので、必然的にこの教室の外には人が多くなりがちなのだ。
「せんよ、ルームシェアなんて」
「なんでぇ。東京家賃高いねんもん〜。ママはおばあちゃんのお世話あるから東京行かれへんし、パパも仕事あるし、一人暮らし確定してんねん〜」
朱里は口を尖らせた。
「向こう行ってルームメイト探したらええやんか。事務所でいくらでも友達出来るやろ」
「話合うかどうか分からへんもん。私人見知りやしさあ」
あ〜、やっぱちょっと憂鬱やぁ。朱里はそう言って机に突っ伏した。はらはらと、机に乗り切らなかった茶色い髪が流れ落ちる。さながら絵画のようだ。
「柚月はさぁ。話合うもん。ずっと一緒やし。離れんの初めてやし。寂しい」
寂しい。その言葉を私は反芻した。
話が合うと思ってるのは間違いだ。朱里が好きな曲は正直私は好みじゃない。朱里が好きなお菓子もあまり好みじゃない。朱里が好む服も、漫画も、私の好みじゃない。本当は私はチョコより生クリーム派だし、少女漫画より少年漫画派だし、アニソンよりもアイドル曲派。
でも朱里は、そのことを全く知らない。だって私はそんな事言わないから。朱里は私が、朱里にぴったりの友達だと思ってる。むしろ親友だとすら思っている。そうじゃないのに。
「向こう行ったら絶対おるよ、話合う子が」
「そうかなぁ」
朱里は机の上に頭をごろごろ転がす。これだけ頭を振っても、彼女の髪はぼさぼさにならない。つるんとしていて、束になって右へ左へ揺れるだけ。
朱里は、私と二人で駅前に遊びに行った日にスカウトされた。テレビで見ない日が無いくらい有名な女優さんがいっぱいいる事務所で、そこが新しく作ろうとしているアイドルグループのメンバーになるらしい。もう既にメンバーはある程度集まっていて、そこにはアイドル界隈で有名だった人やモデルさんやYouTuberなどが勢揃いしていた。朱里はそこに、「期待の新人」として電撃加入することが決まっている。
朱里なら、「期待の新人」、「電撃加入」なんて煽り文句にも負けないくらい人気になると思う。だって朱里は可愛いから。
「……そういえば」
私は朱里の髪を右手で持ち上げたり落としたりしながら尋ねた。
「彼氏どうすんの、貴斗は」
あー、と、朱里は机に突っ伏したまま言った。
「もう別れたよ」
「え?」
「もう別れたー。だってアイドルになるんやもん、彼氏おったらあかんやん」
「真面目か」
「真面目にせんかったらさ〜。クビになっちゃうかもしれんもん。私なんか無名の新人やもん。最初くらい真面目にせんと」
朱里はそう言った。こういうことがさらっと言えて、さらっと実行出来るのだ、朱里は。
貴斗は、私の元彼だった。もうこれ以上は、言わなくてもいいと思う。

私はといえば、片目は一重で片目は奥二重、鼻は典型的な団子鼻で、口角は下がりっぱなし、輪郭は主張の激しい丸顔で、イエベ秋、骨格ストレート。足はO脚で胴が長く、姿勢も悪い。
部屋の鏡を叩き割りたくなる衝動を抑えて、その代わりに部屋のポスターを全部剥がした。

アイドルになりたかったのは、私の方だ。
昔からアイドルが好きだった。アイドルは夢を与える仕事だ。だからなりたかった。でも結局、選ばれたのは朱里だった。アイドルなんか微塵も興味無い、朱里だった。

「ねぇ〜、やっぱシェアハウスしよや〜」
「今更何言うとんの」
高校を卒業して半年経っても、朱里は相変わらずほぼ毎日電話をかけてきた。少しづつメディアへの露出も増え始めていて、朱里は「友達」から「有名人」になりつつあった。深夜のアイドル紹介番組にソロで出演していた。「期待の新人」、「数百年に一人の逸材」などの煽り文句と共に出てきた。アニメが大好きで知識が豊富なことで、司会の芸人からも大層気に入られ、ぜひまた来てね、とまで言われていた。朱里は心の底から良い奴だ。取り繕おうとか、爪痕を残そうとか、そんな気持ちが全くない。適度な新人感が、清純に映り好感度も高い。
「東京怖いねんもん〜。一応マネージャーさんが色々教えてくれるけど、一人で外にも出られへんし、テレビ局とレッスン以外で人と喋る事ないしさぁ」
朱里は東京でアイドルになってから、あの茶髪を黒く染めて、ストレートパーマをあて、メンバーカラーであるイエローのエクステをつけていた。
「ただの友達が一緒に住んでたらおかしいやろ」
私はそう言った。アイドルと一緒に住むなんてたまったもんじゃない。何を言われるか分からない。日本全国の『カワイイ』が集まる街、東京に私が行ったってただ自分の顔が浮くだけだ。
「じゃあ柚月もアイドルになろうやぁ」
冗談めかして、朱里はそう言った。私は、目を閉じてベッドにゆっくり倒れ込んだ。頭の中に、トイレを想像した。トイレを想像して、水を流した。ぐるぐる回りながら流れていく水が、下水道向かって消えていく。
なれるなら、なっとるわ。
「私が行ってどないすんのよ。なれんわアイドルなんか。可愛くないし」
思わず早口になった。
「柚月は可愛いよぉ、それに人は顔が全てやないよ?」
は、と出そうになった言葉を飲み込んだ。トイレに集中する。流し去るのだ、全て。
「今さぁ、色んなアイドル売り出そうとしとるんやって。数打ちゃ当たるってプロデューサーが言うてた。アイドルなんて、誰でもなれんねんて」
朱里の声が少し震えていた。
黙れ。お前に何が分かる。
「こないだなぁ、収録で緊張して振りミスってなぁ。柚月も分かると思うけど、風花ちゃんにめっちゃ怒られてん。風花ちゃんの立ち位置に私行ってしもたからさぁ。私一人だけ一般人からすぐアイドルなって、すぐテレビ出だしたから、みんな気に食わんねんて。私脱退させられへんのかってプロデューサーに直談判してんて。笑うやろ。私別に、なりたくてなったわけじゃないし辞めてもええねんけどさ。ていうかいっそ辞めさせてほしいねんけどさ。もういっそ大阪帰りたいねんけどさ。そういうわけにもいかんやんか。だから柚月来てよ。一緒に住んでよ。ほんならもうちょっと頑張れるもん」
お前に何が分かるんや。アイドルなんて誰でもなれるっていうんなら、あの日お前だけがスカウトされたのはなんでや。元彼が私を振ってお前に告白したのはなんでや。そのお前が簡単に元彼を振れたのはなんでや。東京に行く時微塵も躊躇しなかったのはなんでや。アイドルなんてなりたくてなったわけじゃないなんて言えるのはなんでや。そんな悩みがあるのはなんでや。
全部お前が可愛いからや。お前が可愛いから、だからそんな贅沢な悩みが言えるんや。お前が可愛いから、だからスタートラインに立てたんや。私が体重計に乗ってる間、お前はアニメを見ながらお菓子を食ってたらしいやないか。私がランニングしている間、お前はゲームセンターで好きなアニメのUFOキャッチャーをしていたらしいやないか。私が高いスキンケアを買うためにバイトする間、お前はしっかりテスト勉強ができたらしいやないか。私がショーウィンドウに映る自分を睨みつけている間、お前はショーウィンドウの向こうの可愛い服を買ってたやないか。
全部全部、お前が可愛いから。そんなことが出来たのは全部、お前が可愛いからやないか。
「……行かれへんよ、私は」
静かにそう言うと、朱里は力なく笑った。
可愛いんやから、それでええやんか。それ以上を求めんな。それ以上幸せになろうとすんな。それ以上幸せになろうとするなら、私に歩み寄ろうとするな。私と同じ位置に立っていると勘違いすんな。お前は私より遥かに遠くに立ってるのに、同じステージだと勘違いすんな。
「まあそうよなぁ。分かってるよ。ごめんね、夜中に電話して」
深夜三時に電話してきても、お前は許される。可愛いから。可愛いからだ。
「……いいよ。ろくなこと言えんけどまたかけといでよ」
「優しいなぁ、柚月はやっぱ」
違う。私はベッドのシーツを握りしめた。じゃあね、という朱里の声を聞きながら、私は頭の中のトイレにだけ集中する。ぐるぐる渦を巻く水のせいで、吐き気がしている。
違う。お前は何も分かってない。私は、顔も性格も悪い女になりたくないだけだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?