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友情(2)

(前話はこちら「友情(1)」https://note.com/mazetaro/n/n4bbbfcbf8c0f
石田三成は今の滋賀県の人ですね。秀吉の小姓から官僚軍団のリーダー、五奉行の一人まで成り上がりました。
大谷吉継もまた、小姓から出世し、朝鮮の役でも活躍し「吉継に百万の軍勢を指揮させてみたい」と秀吉に言わしめたほどの武将になりました。
でも、大谷は病気になった。ハンセン病でした。

ある日の茶会。あれはお茶を回しのみするじゃないですか。当時すでに体や顔からも膿が出るほどの重症だった吉継は(当然出たくなかったでしょう)仕方なく頭巾を被って出席したのですが、誰もが気味悪がって、彼の飲んだ後の湯飲みは回ってきても飲むふりをするだけでした。

鼻水が入っちゃったらしいですね、制御できず。

しかし、石田三成はそれを見るとー、
「のどが渇いたぞ!」
とか言って茶碗を奪うと、そのお茶をためらうことなく飲み干したのです。周りも唖然としましたが、驚いたのは他ならぬ吉継でした。
吉継は茶会の後、屋敷に帰って悔し涙を流しましたが、そんな中で三成の心意気に感動し、以来三成との友情を堅く誓ったと言います。

2人は別にどっちがえらいとかないんですね。当時そういうのは軽い付き合いの場合だけで、命を賭けるような絆は主従関係か、むしろ衆道(ホモセクシャルですね、当時は珍しくない)に限られていました。
だが、三成はタメ口をきける友達をもっていた。しかもこの友達は西軍連合体の中心となって、徳川軍に挑み、あの日誰よりも家康を震え上がらせ、そして散っていきました。

本当は大谷はそれまで徳川軍だったのです。関が原の前哨戦・上杉征伐に軍を率いての道中、三成と合って友の決意が変わらないと知ると、西軍に翻った。友のために命を捨てる。友情によって生かされた人間にとって、それ以外の選択はないでしょう。
内通やサボタージュ、裏切りの相次ぐ関が原の西軍の中で、本気で戦っていたのは大谷軍だけだったという話です。

私の中で大谷吉継といえば、もう「葵徳川三代」の細川俊之。
「おぬしも阿呆じゃが、儂はもっと阿呆じゃ!」
対徳川の戦を決起しようと三成(江守徹)に「絶対やめとけ!」と言いながら、決意が固いとみると、同道する覚悟を決めるシーン。マスクをしていて目しか見えなくても滲みでる三成への想いにもはや恍惚としますね。

細川俊之の低い美声が素晴らしい、大谷吉継


ハンセン病になる前の大谷なら「のぼうの城」の山田孝之ですね。
秀吉が「100万の軍勢を預けたい」と褒めた知謀の将、そのものでしょう。さわやかです。
彼が元気だったら徳川は天下を取れなかったかもしれません。


(終わり)


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