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三浦春馬が死んだ理由がわかる

昨年の7月18日
俳優の三浦春馬さんが亡くなりました。

顔がいいだけでなく、役者としての実力もある。
悪い評判も無く、本当の意味での「大人気俳優」だったと思います。


「なぜあの人が」

そういった言葉が見受けられました。
非の打ち所がない、誰しもが憧れる理想の存在。
でも、なぜ死んでしまうのか。

様々な人が理解に苦しんだこの事件、
僕なりに思うことがあるので書き記します。


希死念慮

結論としては

「特に理由なんてない」

だと思います。


「え?どういうこと?じゃあ何で死んだの?」
と思う人もいるかと思いますが、
自殺なんてそんなもんです。

いじめられて辛いから、
借金に溺れて辛いから、
ブラック企業の働き方に耐えられなくなったから、

大体、自殺で想像の着く理由はこの辺りだと思いますが、
「生きる意味を見失った」
という理由もあると思います。

これを見ている幸せな方々には想像もつかない理由だと思います。

「生きているだけで大儲け」
「これから先、絶対いいことがある」

そういう次元では無いのです。


「生きることに理由が無くなった」

そうしたら死にたくなるのは当然でしょう。

歯を一通り磨いて、口の中の汚れは取れたはず
そうしたらもう歯磨きを止めるでしょう。
もう磨き続ける意味は無いから。
それと同じなんです。


俳優としての成功を修め、多くのファンを獲得した。
でも彼らが知っているのは役者を演じている自分だけ。
近寄ってくる多くの人間は商業目的だし、気さくに話せる人間なんて居ない。

老後生きていくだけの金はあるし、仕事を失う心配もない。

あとはひたすら残された人生を消化していくだけ。


生きていて幸せなことなんてあるのか?


そのように感じたのかもしれません。

そうしたら途端に生きる意味を見失います。
何でこんな単純なことで笑える人がいるのだろう
何でこんな些細なことで幸せを感じる人がいるのだろう
人と違う世界線で生きている
感覚を共有できない。



生きていくことに飽きた

そんな感覚
一般人には伝わらない感覚
それがあったのかもしれません。

ここで言っていることは全て私の勝手な考えです。
三浦春馬さんがどのように感じていたのかなんて誰にも分りません。
ただ、「こういう考えもあるんだ」程度に思っていただければと思います。

「死」というものに恐怖がなくなったとき、人は死ぬことができます。

それは、死の恐怖よりも生の恐怖の方が勝ったとき

それは、死への恐怖を忘れるほど感覚が鈍ったとき

そして、生きることにも死ぬことにも興味がなくなったときです。


多種多様な考えがあるということを理解してください。

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