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日記 さみしんぼさがし

会社からの帰り道。道端に小さい靴が片方だけ落ちていた。あっ、と気がついて靴の前で立ち止まる。まわりを見ても落とし主っぽい人は見当たらない。靴を落としてしまうなんて親はショックだろうなあ。

子供が歩き始めるくらいの年齢って、ずっと歩けるわけじゃないからベビーカーに靴をぶら下げておいたりすることがよくある。そしてその靴が何かの弾みで落ちてしまったり、子供に履かせてたのに脱いじゃったりすることがある。

けっこうこういうのって気がつけないものなんだよなあ。うちも過去に落としたことがあるからわかる。私はなんだか取り残された小さい靴の前から動けず、しばらくそれを眺めてしまった。

そういえばこの前この近くに、メロンパンが落ちていたこともあった。包装はなくそのまま裸のメロンパンで、しかも表面のカリカリ部分だけがきれいに齧られていた。カリカリだけを先に食べるとは。後のもふもふ部分を食べる気はあったんだろうか。もしかするとこの靴と同じ子供が落としたのかもしれない。

私はその時も立ち止まってメロンパンの前からしばらく離れられずにいた。なぜ見てしまうのかよくわからないけど、ちょっとドキドキする。私はこの世界から取り残されたさみしいものが好きなのかもしれない。商品棚の裏の隙間に落ちた袋麺を毎日眺めているのも同じ理由のような気がする。

夜の家路をふわふわと歩きながら、さみしいものが見たくなるのはなぜだろうと考えた。もしかすると人間の心の中には、明るさや楽しさや豊かさや優しさや温かさだけでは埋められない隙間みたいな領域があるんじゃないか。さみしさだけがそこを埋めるのだ。

じっと見つめて、それからどうしたいのか。わからない。しばらくの間、ただそのさみしさに浸っていたいのだ。そういうことってありませんか。ない?そうか、ないかあ。まあ、三連休の人は楽しみましょうね。

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