日記 ふらっと長崎
今日から日記を書くときはタイトルに「日記」と書こうと思う。これまで日記なのかエッセイなのか自分でもよくわからないものを書いていたけど、もっとちゃんと自分が何を書いているのか意識した方がいい気がしてきたので。
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この土日、長崎に行ってきた。妻が幼馴染に会う予定があっただけで私たちは留守番していてもよかったのだけど、どうせだからと実家に帰ることにした。
関東に住んでいた頃はお盆か年末年始くらいにしか帰省していなかったけど、福岡に移住してこうしてただの土日にふらっと帰れるようになったのは良い。高い飛行機代に比べたら高速道路の料金なんてかわいいものである。
妻を待ち合わせ場所まで送り、私の実家に顔を出し、妻も合流して義実家に行く。6歳次女が幼稚園で作った敬老の日のプレゼント(画用紙で作ったリースのようなもの)をそれぞれの実家に渡すと、両親たちはとてもよろこんでそれを目立つところに飾っていて、やはり帰ってよかったなあと思った。
夜には義実家で普段はできない大人数でのババ抜きをしたり、お菓子をたらふく食べたりして、こどもたちは興奮して23時くらいまで起きていた。義実家では大人もだらだらしたいのでこういった特別ルールが許される。私も畳の上でごろごろとしていたら気づいたら寝てしまっていた。義実家でくつろぎすぎだろう私。
義実家に泊まった翌朝、朝ごはんに炊き立てのごはんと、みそ汁と、焼き鮭と、卵焼きと、ひじきと、大根の浅漬けが出てきた。すごい。完璧な朝食だ。うれしい。ガスで炊いたごはんがあまりにもおいしくてお代わりして、お腹いっぱい食べてしまった。
そういえば焼き鮭を食べるのはかなり久しぶりだった。なぜなら妻が骨のある魚を食べたがらないから。妻は魚の味は好きなのに、「骨を取る」という行為が嫌いすぎて普段あまり焼き魚を食べない。だから家では刺身とかあらかじめ骨が取って売ってあるサバとかを食べている。
じゃあこんな風に焼き鮭が食卓に出てきた時とか、エビとかカニとかが殻のまま出てきた時はどうしているのかというと、毎回私が妻の分まで身をほぐしてそのまま食べれる状態にして皿に出しているのだ。7歳長女が箸で器用に鮭の骨を取っている隣で妻の分の骨を取るのもどうなのか。
「骨くらい自分で取りなさいよ」と言うと「人にはどうしても嫌なことってあるでしょ」と言う妻。あるかなあと考えたら、そういえば私の父がセーターとかの毛玉取りが心底嫌いだと言っていたのを思い出した。取っても取っても永遠に取れない感じが気が狂いそうになるらしい。人には人の嫌いなことっていうのがあるのかもしれない、と思って私は今日も妻の鮭の身をほぐした。
帰り道、6歳次女が「公園で遊びたい」と言うので諫早市の総合運動公園に寄る。到着するなりなぜかこどもたちは疲れていて、たいして遊ばずにすぐに帰った。妻はなぜか車内で変なテンションで、全然似ていないモノマネをずっとやっていた。みんな夜更かししたから疲れていた。
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