【小説】夏のスリーアウト(3)

(2)からつづく

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「こいつら大丈夫か」
 浩二は、そんなベンチの様子を見て考えていた。勝てば甲子園、という一戦である。相手は強豪、南海第二。甲子園でも優勝候補のひとつに数えられるチームだ。勝てる可能性が低いのは、自分もよくわかっている。それにしても、こいつらの余裕はどうだ。女の子の取り合いしてる場合か、まったく。
 だけど、と浩二は思う。俺も他人のことは言えない。この試合に勝つということは、家族旅行がフイになる、ということだ。息子のがっかりした顔は見たくない。それに払い込んである旅行代金はどうなるのだ。取り消し料は取られるのか。俺ものんきな監督だ。
 気持ちが顔に出ないように、と浩二が考えていると、治療を終えた田村がグランドに戻ろうとしていた。
「いけるか?」
 浩二が尋ねると、田村はさも当然というふうにうなずいた。浩二は彼の尻を軽くたたいて送り出した。観客が拍手している。次の打者に送りバントのサインを出す。
 二番打者の宮本のバントは悪くはなかったが、相手の守備がうまかった。田村は二塁で封殺され、あっという間にベンチに戻って来た。続く三番、四番が凡退し、観音堂も無得点で攻撃を終えた。
 
 二回。南海第二は初ヒットを放つも、得点はなし。観音堂も三者凡退に終わる。
 三回表。ワンアウト後、四球とヒットで、南海第二はチャンスをつかむ。それでも、不機嫌な顔の木田は、ランナーに一切かまわず、次々投げ込んでいく。南海第二の打者は、あまりにも短い投球間隔に面食らっていた。しかも、突然、内角に速球が来たりするので、思い切って踏み込めない。結局、木田は続くバッターを打ち取った。ピンチを脱しても、彼はニコリともしなかった。
 三回裏、また事件が起こった。ツーアウト、ランナー無しで打席に入った田村が、二個目の死球をくらったのだ。今度は左肩だった。
「田村君、治療のため、しばらくお待ちください」
 場内アナウンスが再び流れる中、肩を押さえてベンチに戻ってくる田村。治療道具が入った箱に、手を伸ばす坂本愛。次の回に備えて肩慣らしをしていた木田が、またも田村をにらみつけていた。
「わざとぶつかってんじゃん」
 木田が吐き捨てるように言うのが聞こえた。
 さすがにこれはまずい。試合中に大げんかが勃発しかねない。浩二が「俺が、診てやろう」と言おうとしたときだった。ベンチの端から声が聞こえた。
「私がやりましょう」
 声の主は、顧問の教師、滝本だった。あまりに意外だったので、浩二はことばを飲み込んだ。滝本は、二年前、浩二の自宅に監督依頼に来た人である。四十歳半ばの物静かな紳士だ。野球のことには、口を挟まない。しかも、事務処理や経費の計算は、すべて引き受けてくれた。浩二にとっては、ありがたい先生だった。野心的で、勝ちにこだわる人物だったら、浩二は閉口していただろうし、今ごろは監督を辞めていたにちがいない。
 その滝本の発言だったので、浩二は驚いた。もちろん、選手は生徒なのだから、滝本が心配してもおかしくはない。それでも、こんなことは初めてだった。
 滝本が、坂本愛から治療道具を受け取った。田村の肩を出させて、冷却シートを貼り絆創膏で固定する。一連の動作が途切れなく自然だった。それがベンチにやわらかい雰囲気をもたらした。田村は少し残念そうな顔をしていたが、それでも一番打者としての責任感は持っている。治療を受けながらグランドを見つめていた。木田も中断していた肩慣らしを再開していた。
「これでいいだろう」
 治療を終えて、滝本が穏やかに言った。
「はい」と答えて、田村が戻っていく。浩二は滝本を見た。目が合う。軽く頭を下げた。微笑を返された。だいじょうぶ。そう言われたような気がした。
 この走者をなんとかしたい。浩二はそう思ったが、続く二番宮本は三振し、無得点に終わった。

                      (4)につづく

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