【小説】夏のスリーアウト(1)

 ※※※五年前にスクールの課題として書いたもの。書き慣れてないなあ、と思います。読み返すと恥ずかしい。それでも当時は50枚書いたということで満足していました。便宜上(1)としておりますが章立てはしておりません。※※※


 こまめに給水させるように、大会本部から通知が来た。監督の天草浩二はグランドを見た。ゆらゆらと水蒸気がたちのぼる中で、整備員がトンボを使っていた。まもなくプレイボールだ。浩二は、ひとつ息を吐いた。
「まいったなぁ」
 思わず声に出てしまった。あわてて周りを確かめる。誰にも聞かれなかったようだ。
 夏の高校野球、花川県の地区大会。今日、その決勝がこの球場で行われる。対戦するのは、県内屈指の強豪校である南海第二高校と、創部四年の観音堂学園である。勝った方が甲子園出場だ。
 ここまで、観音堂は幸運に恵まれ続けた。初戦から三試合は、似たような新設チームとの対戦が続いた。準々決勝は実力のあるチームだったが、相手の監督がエースを休養させた。準決勝の相手を考えてのことだったが、控えの投手がまさかの乱調。相手はリズムを崩したまま自滅した。
 準決勝の相手は、県内二強のひとつ、鬼塚高校だった。観音堂が勝てるとは、誰も思っていなかった。鬼塚高校野球部も、勝利を確信していた。ところが、試合二日前に結膜炎が発生し、チーム内に広がってしまった。当然、選手の多くが出場できなくなった。棄権も考えられたが、無事だった選手でなんとかオーダーを組んだ。それでも観音堂が不利では、という予想がほとんどだったが、さすがにピッチャー経験のない一年生が先発する状況では、鬼塚高校も勝てなかった。一対〇で観音堂が決勝進出を果たしたが、「あの状況で一点だけかよ」と言う者もいた。
 その観音堂学園野球部の監督が浩二だ。ただし、本職は酒屋の二代目主人である。社会人野球の経験が少しある。それが監督を任された理由だった。依頼しに来た顧問の先生は、申し訳なさそうに言っていた。
「前監督が辞めたので」
 少し考えて引き受けた。監督手当を家計の足しに、と思ったのだ。後で、他校の監督報酬を聞いて落ち込んだものだ。今日の相手監督の手当は、浩二の二倍だ。
 それにしても、と浩二はベンチの天井を見上げる。大きなひび割れがあった。そのひび割れに向かって「困ったな」とつぶやく。甲子園出場が決まると、家族旅行が中止だ。
 五歳になる息子が、旭山動物園に行きたいと言っていた。可愛い盛りの一人息子である。天草家では、店の休業期間を利用して旅行を計画していたのだ。
 それでも、甲子園出場校の監督が、お盆に旅行、というわけにもいかない。試合当日の可能性もある。息子のがっかりした顔が浮かぶ。妻は、理解を示してくれてはいた。それでも、たびたび夫が店を空けることになり、それには不満な様子だった。確かに去年の夏は、予選一回戦敗退で、練習は休みだった。浩二がいない間、店のことは妻がやらざるを得ない。
「監督ぅ」
 呼ばれて振り返ると、すぐそばに坂本愛の顔があった。マネージャー兼記録係の三年生女子である。なぜかいい匂いがした。彼女が甘い声で言う。
「田村君が、左ひざが不安だって言うから、テーピングしてあげようと思うんですけど」
 大きな瞳が、じっと浩二を見つめていた。浩二は、顔を遠ざけながら「頼む」と返答した。部活のマネージャーはもてる。この坂本愛も例外ではなかった。
 特に投手の木田が、ひときわ熱を上げているということだ。告白したが、坂本愛はうまくはぐらかしているらしい。部員たちが愉快そうに話すのを耳にして、さすがの浩二も、のんきなものだと思った。
「早く、ズボンおろして」
 阪本愛の声だった。どきりとして、浩二は振り返った。二塁手の田村が、彼女の前でユニホームをずらして、うれしそうな顔をしている。少し離れたところで、まもなくマウンドに上がる木田が憮然としていた。
「なんだかなぁ」と浩二が思った瞬間だった。
木田が田村に、自分のグラブを投げつけた。にやけていた田村の左顔面に命中する。
「イテー」
 田村は、膝までズボンを下ろしたまま悶絶した。さらに飛びかかろうとした木田を、キャッチャーの徳島が、抱きついて止めた。徳島は大柄である。いつも弁当屋の弁当を買ってくるので「ほか弁」というあだ名がついている。その田村に抑えられたので、さすがに木田も動くことができなかった。
「決勝はテレビ中継があるでござるよ」
 四番打者の佐々木が、徳島のうしろで言った。佐々木は時代劇マニアである。幼い頃から、時代劇を大量に見たため、話し方やしぐさが影響を受けているらしい。
「ベンチ内のケンカが放送されてみろ。その時点で失格、不戦敗だぞ」
 監督として浩二も注意したが、内心は「その方が、よほど気が楽かもなぁ」と考えていた。阪本愛はベンチの隅に移動して、成り行きをじっと見ていた。
                        (2)へつづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?