【小説】夏のスリーアウト(6)

(5)に戻る

最初に戻る

 その頃、一塁側スタンド下の通路で、四人の男女が立ち話をしていた。観音堂学園の理事長とその秘書、校長、教頭である。上着を着たままのくせに「暑くてたまらん」と言う理事長と「日焼けしちゃうな」という秘書に従い、校長と教頭も移動してきた。
「リードしたじゃないか、校長」
「一点だけですよ、理事長」
 頭頂の汗を拭きながら、校長が答える。
「しかし、勝つかもしれんじゃないか」
「喜ばしいことでは」
 教頭が言うと、秘書がにらんだ。彼女は冷えたダイエットコーラをゴクリと飲む。理事長を無視して、自分だけ買ってきたようだ。
「ありませんね」
 教頭が肩をすくめた。
「甲子園に出場した学校が」
 理事長が、校長の耳元で言った。
「次の年には消える。世間や保護者を納得させられるのかね」
 観音堂学園は、経営状態が悪かった。元々は女子校だったが、四年前に共学校になった。男子を入れて、生徒数を増やそうという思惑であった。最初の二年は、物珍しさも手伝って、経営はやや持ち直したが、すぐに赤字体質に戻ってしまった。その結果、観音堂学園は宝山高校と統合することになった。宝山は同じ学校法人が経営する超進学校だ。毎年、国立大学や有名私立大学に大勢が合格する。当然、人気があり黒字経営だ。
「野球など、やってられないぞ」
 理事長が秘書のコーラに気づいた。ちらちら見ながら続ける。
「宝山の生徒には、進学実績を上げてもらわないとな」
 横で、秘書がまたコーラを飲む。理事長が見ていてもお構いなしだ。気の強い女だな。教頭が思った瞬間、彼女に話しかけられた。
「野球部は、間違いなく一回戦で敗退。教頭先生は、そう仰ってたそうですね」
「はぁ、実力を考えると。それに、監督もそれほど熱心なわけでもありませんし」
「顧問の教師は?」
 理事長が割って入る。
「滝本です。女子校時代からいる教師で、以前は合唱部を担当しておりましたが」
「そうか」
 理事長は興味なさげに言った。
「顧問の先生は、まじめな方です、理事長」
 意外なことを秘書が言った。理事長が彼女を見る。コーラも見る。
「それはどこに売ってるの」
 秘書は黙って、自動販売機を指さす。理事長は小銭を探しながら、校長に言った。
「とにかく、統合をスムーズに進めるためにも、マスコミや保護者に文句を言わせるな。甲子園出場で観音堂はすごい、となったらやっかいだぞ」
 念を押すように、理事長は脅す。
「そのときは、あんたたちが保護者やマスコミに説明するんだぞ。俺は知らんからな」
 理事長と秘書が離れていった。
 教頭がつぶやく。
「甲子園出場で観音堂の人気が出る。また、入学希望者が増えるかも」
「経営の問題は表向きの理由だよ、教頭。理事長は何としても観音堂の名前を消したいんだ」
 校長は、自動販売機の前でドリンクを選んでいる二人を見ていた。
「なんで、そこまで」
「教頭、理事長が離婚したのは知ってるね」
「私が赴任してくる少し前のことですね」
「原因は?」
「いろいろ言われているようですが」
「いろいろ言われている通りだよ」
「浮気、ですか」
「そう、浮気したのは奥さんの方だがな」
「それにしても」
「その奥さんの、旧姓が観音堂っていう」
 教頭が目を丸くした。
「本校の創設者の叔父の孫らしいがな」
「薄い親戚ですな」
「それでも、とにかく観音堂という名前がいやなんだろ、理事長は」
 理事長が、買ったドリンクを飲んでいた。腰に手を当てて仁王立ちだ。横で秘書が無表情で立っている。
「しかし、本当に観音堂の名前を消したいのは、彼女かもしれんな」
「どういうことです?校長」
「彼女は本校の生徒だったんだ」
 教頭が、再び目を丸くした。
「そうだったんですか」
「成績は良かったんだが、素行が悪くてな。三年生に上がる前に転出してしまった」
「それがまた、なんで理事長の秘書に」
 校長は当たり前のように答えた。
「美人だからだろう」
 その時、大歓声が聞こえてきた。
 
 南海第二高校の攻撃を無得点に抑え、観音堂ナインがベンチに戻ってきた。学園関係者が、スタンド下で密談をしていたころだ。六回裏の先頭打者、佐々木が打席に向かおうとしていた。例のごとく、日本刀のようにバットを振る。その佐々木に向かって、再び坂本愛が叫んだ。
「がんばって、新撰組副長」
 ベンチの全員が彼女を見た。もちろん、木田は怒りの表情である。佐々木が立ち止まりベンチを振り返った。

 先の回、坂本愛に言われた言葉が耳の奥に残っていた。できれば、もう一度励ましてほしい。佐々木はバットを振りながら思った。「木田の気持ちはわかっておる。されど、拙者も、褒められるとうれしいでござるよ」
 そのとき、背後から彼女の声がした。
「がんばって、新撰組副長」
 振り返ると、彼女と目が合った。どういうことだ。拙者は佐々木だぞ。新撰組副長と言えば、土方歳三。
 突然、数ヶ月前のできごとを思い出した。いつものように、練習の合間にふざけていた。「我こそは、新撰組副長、土方歳三なり」と言ったのを、そばで聞いていた坂本愛が「何、それ。変な名前」と大笑いしたのだ。
「だって、肘と肩なんて、体の部位ばっかりじゃん。それに、ヒジ・カタ・トシゾーってリズム、ウケる。タンタンタタタン。ヒジカタトシゾー」
 そう言って、笑いが止まらないマネージャーに、「違う、違う」と、土方について説明したのだった。
「しかし、この場面でどういう意味だろう」
 バッターボックスに向かいながら考える。閃くものがあった。
 そうか、ヒジカタか。肘と肩を意識するのだ。上腕をしっかり締めて、バットを振る。それにリズムだ、タイミングだ。
 打席に立つ。投手が振りかぶる。「我こそは、新撰組副長」モーションに合わせてつぶやく。そして「ヒジ、カタ」だ。タンタンタタタン。「トシゾー」でスイング。どうだ。
 全くの偶然ではあったが、タイミングが合った。ジャストミートしたボールが飛ぶ。刀代わりにバットを振り続けたのだ。パワーはあった。まさかの打球が、ライトスタンドぎりぎりに飛び込んだ。
 「天然理心流!」
 拳を突き上げる。ベンチに戻って、坂本愛に感謝の言葉を伝えよう。ダイヤモンドを全力疾走で一周する。天馬ほど速く走れないのがもどかしい、と思った。

 佐々木は、戻ってくると全員に祝福された。浩二も佐々木とハイタッチをした。木田は半分笑って、半分怒っていた。坂本愛はベンチの奥にいた。佐々木が近付く。すると、彼女は木田のそばに行ってしまった。坂本が木田に何かを言う。二人はベンチの奥に移動した。佐々木が困っている。浩二は、その動きを見ていた。木田の打順は七番である。まだ、少し時間はある。

                        (7)へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?