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24歳の誕生日、とびきりおしゃれをして一人旅に出かけた。

"これからの人生、
私はどんな誕生日を過ごすのだろう。"


と、ふと思った23歳終盤の五月。

今までの誕生日は、18歳までは家族がお祝いをしてくれ、東京にきてからは毎年友達が一緒に過ごしてくれた。
だから有難いことに一人で過ごす誕生日というのは生まれてこのかた一度もなかった。
ただ心の奥底で、一人で誕生日を迎え年を重ねるという事実は、寂しい人間であることを露呈している気がして、すごく恥ずかしいことと捉えていた節も否めない。そしてその感情ははてしなくしょうもない。

そんなしょうもない感情と、呪縛になりうる固定概念からおさらばするためにも、今年の24歳の誕生日は、鎌倉までひとりでプチ旅をすることにした。

誕生日一人旅プランの計画は、ワクワクが止まらなかった。そして、私は大きく分けて二つのことを行うことにした。

一つ目は、鎌倉での行動プランについてだ。
"何しよう。海も見たいし、行きたいカフェや雑貨やさんも、あれもこれもしたい"いろんなことを思いついた。ただ結局、私はちょっと贅沢なランチをすることと、海をみに行くことだけをプランとして立て、あとは心向く方向へ足を進めようと決めた。

そして、このプランは予想通り最高で、ふらっと入ったお皿屋さんでは好みの食器を安く買え、ふらっと入った本屋さんでは、鎌倉の海が見えるカフェを知り、そのカフェで海を見ながらゆっくり本を読む時間がとれた。
鶴岡八幡宮では人生初めて凶を引いたけど、こんな誕生日も悪くないな、となんだか笑えた。
ゆったりしながらも、想像していなかった時間を過ごせることに私は最大の幸福を感じることを改めて実感した。

そして、もう一つのプラン。
それは誕生日前日、ふととびっきりおしゃれをして、一人旅をしようと、おもいついた。
すぐに、元美容師の親友に連絡をしたところ二つ返事でOKが。本当にこうやってすぐに私のお願いを叶えてくれて感謝しかない。ありがとう。

この元美容師の親友には、四年ほど前にも一度髪の毛を可愛くしてもらったことがある。それは、10代最後、はじめて本気で好きになった人との最後のデートのときだった。私の好きだった彼が、私を見て、最後に少しでもかわいいなって後悔すればいいのに、と淡い期待を込めたのを覚えている。いまとなれば懐かしい可愛い思い出。

おしゃれをしてでかけるということは、他人からよく思われたいという気持ちが根底に存在する。もし他人を気にしていないというのなら、おうちでいるときの寝ぐせすっぴんパジャマで、街にでかければいい。
ただ、人々はみなそれをやらないのは結局、対人に良く思われたいという願望があるからだろう。

そしてそんな私も、可愛くなりたいし、おしゃれでありたいし、かわいいと思われたいし、おしゃれに思われたい。
おしゃれはすごく楽しくて、いいことだけれども、ベクトルが他人の評価に向きすぎていると、少々しんどくなることも分かっているし、それが対異性だと、なおさら「可愛い」がもらえないとしんどく苦しいこともわかっている。

だから私は、"一人旅でとびきりおしゃれをして出かける"という選択肢を選び、自分のためだけにおしゃれをすることにした。
(ただ可愛くしてもらったあと、好きな人と会って「可愛いね」って言われたいと思った私は、まだまだ他人からの(?)好きな人からの(?)承認をすごく求めていることも分かった。そして、それが別に悪いことではないとも思っている。)
だけど、私はおしゃれをすることが好きだからこそ、自分自身のためにおしゃれをし続けられるひとでありたい。
自分のためにおしゃれをして、自分で自分を愛し、認めたい。
誰かのためのおしゃれも自分磨きもいいけれど、自分のためにおしゃれをする人生にしたい。

自分自身が自分を一番愛すこと、
自分自身が自分を一番認めること、それが一番の幸福だと思うから。

***

そんなこんなで、24回目の5月30日。
私はとびきりおしゃれをして一人旅をし、旅先で運命の人に出逢うなんてこともなく、ごくごく当たり前に24歳になった。
そして、これからもそうやって年を重ねていくんだろう。

今までの20代前半は、若さを武器に見た目も生活も普通以上には派手にしていた気がするが、気づけば20代半ば、落ち着いてそこそこ熟してもいいくらいの年齢になっている。
そんな私はいい感じに熟せてきているのだろうか。自分ではまだわからない。

ただ私が思う素敵な大人の女性は、自分の機嫌は自分でとれるし、自分の幸せは自分で決めるし、自分で自分を幸せにすることができる人だと思う。

24歳の私は、そんな素敵なひとになれるよう引き続き精進していこうと思う。

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