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もりちという人。2

もりちという人。2に足を運んでいただきありがとうございます。
エピソード1はお読みいただけましたか?
そちらから読んでいただくほうが、よりわかりやすいと思います。
どうぞ、こちらから。

「もりちという人。2」は10分程度で読めます。

引き続き、お楽しみください。


自分で進む道

これまで、勉強と向き合う気もなかった私の学力で、行ける高校は限られていました。

高校に行けるとも、行きたいとも思っていなくて、適当に選んだ県立高校と私立女子高を受験。

体裁悪くて受験したけど、「私働くしかないよな。」と思っていました。

それは、諦めの気持ちではなく
不安が少し。それと、少し高揚した気持ちでした。


これで、一人で生きていける。


そうどこかで思っていたのかもしれません。

その後、県立高校は不合格。私立女子校に合格したことがわかりました。

私立合格を叔母に告げてはみたけれど、叔母は困惑の表情。

その意味は子どもの私にもよくわかりました。


多少、高校進学に期待をしているところもあったけど、その叔母の表情を見て

「働こう!」

と心に決め、行動を始めました。

求人誌を数冊買いこみ、中卒でもできる仕事を探していく・・・

ガソリンスタンド
大工見習
工場内の仕分け作業  
など。

中卒の女子が働ける仕事は、当時でもそう多くはありませんでした。

それでも、どんな仕事でもいいから、叔母の家から歩いて通えそうな職場を
と、選んだところは「ガソリンスタンド店」。

すぐ電話をかけると

「面接にきてくれ」とのこと。

数日後に慣れない白いシャツを着て、ドキドキしながら初めての面接に行きました。

その後、すぐ連絡があり、「採用します」の一言。

誰かに認められたような感覚でした。


これが当時15歳だった私の行動力。

とにかく一人で生きるという目的のためにがむしゃらでした。


知らない世界

実は、ガソリンスタンドで働くことを叔母には伝えずに、一人ですべて決めていました。

何でも一人でやってやる!と意気込んでいたために、誰にも相談しないのが大人だと思い込んでいたんです。

すごい行動力ですが、今考えれば、幼稚だったなと思います。


叔母は叔母で、私が高校に行けないことを心配して、当時看護師として働きだしていた叔母の娘、私の従姉妹に相談してくれていたようでした。

採用が決まった数日後、従姉妹が私に

「病院で看護師を目指して働いてみたら?」と。


詳しく聞いてみると

中卒でも看護助手として働けること。

翌年、看護学校を受験して合格すれば、費用は勤務先が負担してくれ学校に行けること。

寮があり、住み込みで働けること。

中卒で働いている人がほかにもいること。
その他いろいろ教えてくれました。

従姉妹からのこの話は、まるで私がこうなることを予想していたかのように、私のために用意された条件のように聞こえました。


「看護師」

そんな素晴らしい資格がこんな何もない私でも取れるかもしれない。それはとても魅力的でした。

叔母の後押しもあり、

「やってみたい。」

と従姉妹に言ったことを今でも覚えています。

採用されたガソリンスタンド店へ、謝りの電話を入れ、数日後には従姉妹の働く病院へ面接に行くことになりました。

15歳の子どもを大人たちはどんな風にみていたのか、感じたのかわかりません。

だけど私は、知らない世界へ踏み出す一歩に不安と期待を感じていました。


自分の力で生きるということ

病院で働くことがきまり、初日にどんなことをしたのか、正直覚えていません。

きっと緊張しすぎていたのだろうと思います。


病院での仕事は、お茶出し、食事介助、排せつ介助、リハビリテーションへの送迎、ベッドメイキング、入浴介助、患者さんの話し相手、などなど。

とにかく体を使う仕事で、覚えることも多かったけれど、それを苦痛に感じることはありませんでした。
とにかく早く仕事を覚えて、誰かの役に立ちたい!
役に立って必要とされたい!と思っていました。

そんな中、一番辛かったのは、、、排せつ介助。

内科病棟で要介護のおじいちゃん、おばあちゃんの多い病棟だったので、排せつ介助は必須です。

ですが、まだ15歳の子どもだった私は、大人の体に触れること、汚物に触れることに戸惑い、躊躇しました。

でも仕事。嫌だとは言えません。
とにかく慣れるしかない。

先輩たちの仕事ぶりを見ながら、必死で働きました。


病院勤務も1ヵ月ほどたった頃、初めての給料日。

当時はまだ手渡しで給料をもらっていた職場もあり、私の初めての給料も手渡しでした。

事務室で職員が順に並んで給料を受け取っていく。今ではなかなか見られない光景です。

私の順番になり、医院長から「お疲れ様。」と声を掛けられ、受けとった茶色の封筒。

今でもしっかり思い出すことができます。


その場で封筒を開けて、確認したい衝動を抑え、早足でロッカールームに駆け込み、誰もいないことを確認して、一息ついて封筒を開けてみました。


12万円。

明細を何度も何度も何度も確認しました。私に12万円。
このあいだまで中学生だった、何にもない私に12万円。

感動で涙が出ました。自分で稼ぐことができた。私でも稼ぐことができる。12万円も稼げた!これで生きていける!


この瞬間の感動を一生忘れることはできません。


新しい出会い

16歳の春。

3月に看護学校の合格が決まり、4月に入学を迎えました。

同級生と同じように学校に通えることはとても嬉しく、午前中は病院で働き、午後は制服を着て(これがとても嬉しかった!)学校に行くという生活を楽しんでいました。

1年生の間は、座学と実習で看護の知識を学んでいきます。

ほとんどの生徒が高校を卒業して入学をしていたのでみんなが年上。

知識や経験の差を感じながらも、年上の友だちを作り、遊びに出かけることも覚えるようになりました。

その年の夏。
年上の友だちに誘われていったのは、合コン。

いつもだったら絶対に断っていたはずなのに、なぜか行くことになっていました。

今考えると、これに行かなければ今の私はなかったなと思います。

そこで出会ったのが仲野さん(仮名)でした。


新しい出会い2

仲野さんは24歳、私は16歳。

よく考えればそんなに年の差はないものの、当時の私は24歳の仲野さんをすごく大人だと感じていました。

合コンのあと、友だちを交えて頻繁に会うようになり、仕事帰りに会うときはスーツ、出かけるときは車。
車内で流れるミスチルもなんかかっこいい!!

今まで自転車を乗り回していた自分がすごく子どもに思えて、仲野さんのすべてが新鮮で大人に感じました。

そんな私が仲野さんにあこがれるのも当たり前で、だけど相手は24歳。

さすがに相手にしてくれないだろう。そう思っていました。


しかし、初めて出会って数週間後にお付き合いをするようになりました。

仕事が終われば連絡を取り合い、車で迎えに来てくれる彼とデートをして、朝帰りし、仕事こなし、学校へ行く。

今考えれば、何やってんだと思いますが、当時の私は、一人前の大人のような気分になっていました。


そんな関係がしばらく続き

看護学校での生活も1年が終わろうとしていた頃、仲野さんの知り合いに紹介してもらうことになり、2人で車を走らせ、向かうことになりました。

そこで出会ったのは、気のいいおじちゃん。

彼とは共通の趣味で知り合い、ときどき遊んでいる仲なんだそう。

その時のわたしはただ、彼の知り合いに紹介してもらえたことが嬉しくて、どう上手に振舞おうか考えていました。


その後、何度か遊ぶようになり、わかったことは

気のいいおじちゃんは、40代。奥さんとは離婚して3人の子どもを引き取り、育てている人。

そして、すごく面倒見がよくて、優しい人。

ということ。

ときどき行く時間がとても居心地よく感じるようになっていました。

家の中の明るく優しい雰囲気。

たくさん人が集まってくる場所。

そのうち、子どもたちとも打ち解け、何かあれば遊びに行くようになっていきました。


そんな中、決まったのは彼の転勤。

九州から関東へ。


それを聞いたとき

すごく寂しかったけど、心のどこかで感じていたのは

「私一人でおじちゃんとこに行けるかな?」ということ。


彼への思いとともに、おじちゃんに会いに行けるかを心配していたのです。


求めているものは

働きだして、給料をもらって、大人の彼氏ができて、、、。

一人前の大人になったつもりでも、16歳は子どもでした。

心の中ではずっと、どこかで家庭を求めていたのだと思います。


気のいいおじちゃん、山下さん(仮名)がいる場所は、いつも暖かい場所でした。

電気のついている清潔な家があり、そこには笑顔あふれる家族がいて、たくさんの人が集まってくる。

そこにいる私はいつもホッとしていました。


彼が転勤してからも時々

「元気か?遊びにこないか?」と電話をくれ、心配してくれていました。

生い立ちについて話をしていたので、心配してくれていたのだと思います。

そして、1ヵ月に1回だったものが、2週間に1回、2回と会いに行くようになり、


ずっとここにいたい


そう思うようになっていました。


正直、このころには仲野さんへの思いより山下さんへの思いが強くなっていました。

だけど、その気持ちが

恋愛感情なのか?

それとも父親に重ねた思いなのか?

わかっていませんでした。


無責任な心

このころの私は、とにかく自分のことしか考えられませんでした。

自分の行動が人に迷惑をかけるとか、辛い思いをする人がいるとか、そんなことを考える能力が乏しかったと思います。

あの頃の自分に会えるなら、もっと人の気持ちを考えなさいと伝えたいです。


山下さんの家に頻繁に行くようになり、


「なぜ、まだ16歳なのに仕事しなければいけないのか」

「私だって学校に行きたい」

「同級生と同じように生活したい」


なぜかそんな欲求を感じるようになっていました。

それと同時に山下さんへの気持ちが恋愛感情なんじゃないかと思っている自分がいました。

仕事をしてても、学校へ行ってても、ずっとそんなことを考える日々。

心ここにあらず。

そんな状態でした。

頻繁にかかってくる仲野さんからの電話も軽くあしらったり、学校の友だちや先輩からの誘いも断ったりするように。


そしていつしか、仕事をやめようと決心していました。


無責任な心2

仕事をやめようと決めたころ、仲野さんに電話で無理やり別れを告げ、納得いかないと頻繁に来る電話を無視していました。

最低です。

それでも、自分のことしか考えていませんでした。


自分がどうしたら現状から逃げ出せるか

どうたら愛されるのか

どうしたら安心して暮らせるのか

どうしたら、どうしたらと。

そして、その気持ちを山下さんに告げたら、きっと受け入れてくれるだろうと自分勝手に思っていました。


その後、山下さんに思いを伝えてみようと決心し、会うことにしたのです。




続く。
















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