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もりちという人。3

もりちという人。3に足を運んでいただきありがとうございます。
エピソード1、2はお読みいただけましたか?
そちらから読んでいただくほうが、よりわかりやすいと思います。
どうぞ、こちらから。


この話は10分程度で読み終わります。

引き続きお楽しみください。

揺れうごく気持ち

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16歳の春。

この現実から逃げたい気持ちでいっぱいでした。

その気持ちをいろんなことでごまかしていることに気が付いていませんでした。


山下さんを目の前にして、泣きながらいろんなことを話しました。

「仕事を辞めたい。」

「同級生と同じように学校に行きたかった。」

「山下さんのところにいたい。」

そんなことをまとまらない言葉で。

そして、山下さんへの気持ちも。


山下さんは静かに、うなずきながら聞いてくれていました。

そして、私が話し終えたタイミングで、真剣な表情で


「仕事を辞めて、うちにおいで。」

と。

そして

「だけど、もりちの僕に対する気持ちは恋愛感情ではないと思う。僕はもりちを養女として迎えたい。」

そう、しっかり私の目を見て伝えてくれました。 


その言葉を聞いて

一瞬感じたのは
嬉しいよりも、少し寂しいような複雑な気持ち。

だけど、その気持ちに気づかないふりをしてやり過ごしました。

そして、次の瞬間には
「仕事辞めて、ここで暮らしていいんだ。」という解放された気持ちになっていました。

それで何も深く考えもせずに、次の行動に移していました。


失ったもの

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2年間積み重ねてきたものを失うことに躊躇がないのは、若いからというだけではなかったと思います。

周りの人がどれだけ自分を助けてくれていたか、心配をしてくれていたか、そこを想像することができませんでした。

仕事を紹介してくれた従姉妹の顔を潰すことになるなんて、考えもしなかったのです。


私は仕事を無断欠勤していました。

山下さんにどんな説明をしたのか、まったく覚えていないのですが、仕事に行かず、職場にも連絡せず、学校にも行かず、すべてを放棄して山下さんの家に居座っていました。


どんな思考をしていたのか、、、

ただやめたいと小さな子どものように駄々をこねているのに似ていたと思います。

しかし、その後、大騒ぎになり男の所に居座っていることがバレてしまい、結局病院へ行くことなっていました。


看護師長と主任を前に、私は何も言えずに下を向いていました。

何を言われたかほとんど覚えていないのですが、

「あなたは、人と違う道を歩んでいる。そういう人は人の何倍も何千倍も努力しないと行けない。」

その言葉だけが今でも記憶に残っています。


今考えれば、私を心配して言ってくださった叱咤激励の言葉だと理解できますが、私はその時

「ああ、そうか。私は普通の人とは違うのだな。」

とひねくれた受け止め方をしてしまっていました。


こうして私は色々な人の信頼を裏切って、病院での生活に幕を閉じることにしたのです。


もがく気持ち

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仕事を辞めて、山下さんの家にやってきて
私は山下さんに愛されたいと必死になっていました。

どう振舞えば、山下さんが私を女としてみてくれるのか?

恋愛感情をもってくれるのか?


山下さんには「養女として迎えたい」と言われたものの、私のことを女としてみてくれるのでは?と期待していました。

家事をきっちりこなして、奥さんのようになればいいんじゃないかとお弁当作りや食事作り、掃除洗濯、お仕事の手伝い、、、。

「子どもたちにも好かれるためにも完璧にこなさないといけない。」

年齢もほとんど違わない山下さんの子どもたちのためにもと

できないことも無理やりがんばっていました。


だけど、日がたつにつれ

「なんで女としてみてくれないんだろう?」

「私のことどう思ってるんだろ?」

と見当違いの疑問を抱くようになり

だんだんと家事もせずに、ぼんやり過ごすことが多くなっていきました。


仕事を辞めて、突然、わが物顔でやってきた女が、何もせずにぼんやりと家にいる状況に

子どもたちが不満をもつのも当たり前で

だんだんと家の中の雰囲気が悪くなるのを感じながらも


それは私のせいじゃない

私を愛してくれないせいだ


本当にそんなことを考えたりしてて、山下さんに冷たい態度を取ったり、

怒ったりして、自分の感情をぶちまけていました。

ただの馬鹿です。
大馬鹿。


なんでそんなに愛されたいと思ったのか

たぶん

愛されなければ、ここに居ることはできない。

山下さんと一緒にいるには、血のつながりがないのだから、恋愛感情で繋がるしかないだろうと短絡的に思っていたのだと思います。


そのときの私を、山下さんはどうみていたのかわかりません。

ただ一言私に

「高校に行くこと考えてみたら?」と優しく言うだけでした。


親と子になるには?

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山下さんの気持ちは初めから何も変わっていませんでした。

私を養女として迎えたいという気持ちに嘘偽りなく、そして先のことまでしっかり考えてくれていたのです。

しょうもない私のために。


「高校に行くこと考えてみたら?」

と言われて、山下さんの気持ちがはっきりとわかりました。

私を子どもとしてみているんだな と。

そして親子になればここにいてもいいんだ ということに。


だけどどうやって親と子の関係になるんだ?血がつながっていないのに・・・。


そう思いながらも

私は少しだけ、今の生活から前を向いてみようと思いました。

仕事を辞めて3カ月が過ぎようとしていました。


動き出す

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何かを始めてみようと意識をしだすと、必要な情報が自然に入ってくるようになる体験をすることがあります。

例えば

今日のラッキーナンバーは7と言われれば、その日一日、7ばかりみつけてしまう・・・簡単に言えばそんな現象です。


「高校に行く」ことについて意識をしだすと、自然と進学についての情報が入ってくるようになっていました。

何気なく目についた漫画本をぼんやり読んでみると

主人公の女の子が「大検」を受けて、大学受験をした、、、というような内容でした。(なんの漫画だったかは覚えてませんが)


「大検」

という言葉に出会ったのはそれが初めてで、そんな方法で大学をうけることができるのかと興奮したのを覚えています。


「大検」とは、今でいう「高卒認定試験」のことです。

高校に行っていなくても高校を卒業した人と同じ程度の学力があることを試験で評価し、認定されることで、短大・大学の受験資格をもらえる資格制度です。


学校に行きたいと思いながらも、2年遅れで高校に行くことには抵抗を感じていた私にとって、「大検」という方法は目の前に道が開けた感じでした。


しかし、大検ってどんな試験?私受けれるの?難しいの?と疑問ばかり。

その当時インターネットで何かを調べるなんて、一部の人しかしていないことだったし、もちろんスマホなんてない世界。

どうやって調べよう、、、と考えていました。


その数週間後


何気なく見ていた新聞のテレビ欄。

そのテレビ欄のわきの広告がなぜか目につきました。

"T高等学院 大学入学資格検定"

と印字された小さな広告。

「大学入学資格検定って、、、大検のこと?」

なぜか、その広告を見た瞬間、鳥肌が立つような、胸がドキドキするような興奮を感じました。

「これだーーーーーーーーー!!」


まさに、私が探していた情報がそこにあったのです。

私は、その新聞を片手に走り、興奮して山下さんに伝えました。

「私ここに通いたい!!!!」と。


私の行く道は

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親の立場になった今
子どもがやりたいと言ったことをできる限り応援したいという気持ちは痛いほどわかります。

しかし、血のつながりのない、数カ月前まで他人だった人間を、なぜ養女にしようと思ったのか
なぜ学校に行かせようと思ったのか
私は今も父に聞くことはできないし、親になった今も理解することはできません。

だけど

父が本当に愛に溢れた素晴らしい人だということは、胸を張って言うことができます。



私が学校に行きたいと言ったとき

山下さんは嫌な顔一つせず

「どんな学校なのか、資料を請求してみよう。」とおもむろに学校に連絡を取っていました。


自分で言っておいて、私は

「え、そんなに簡単なことなの?いってもいいの?」

と呆気に取られていました。

私立高校に合格したと言ったときの、あの叔母の顔をふと思い出していました。

「いや、普通、あんな困った顔するでしょ。なんで嫌な顔しないの?」
そう思っていました。


数日後、届いた資料を私はすぐに確認しました。

もちろん真っ先に確認したのは学費で、そこには

1,000,000という数字。

いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、、、、、!!!


数えながら、落胆していました。これはいくら何でも無理だと。


だけど、、、もしかしたら。

そんな気持ちで山下さんに資料を見せることにしました。


私の行く道は2

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申し訳ない気持ちと、期待する気持ち

そんな気持ちで山下さんに資料を手渡しました。


真剣にみる山下さんを見ながら

横から

「こんなに学費がかかると思ってなかったから、、、さすがに無理だね。」
と山下さんから断られるのがなんだか怖くて、自分からそう言うと


「仕方ないじゃないか、ここに行きたいなら、行ったらいいよ。」

少し困ったような、笑ったような顔でそう言ってくれました。

「え?!」

信じられなくて何度も

「ほんとにいいの?ほんとにいいの?」と確認したような記憶があります。

このときはただただ嬉しくて、それがどんなに大変なことなのか考えることまではできませんでした。


今になって、父の大変さや偉大さを感じることができます。


新しい世界


17歳になったばかりの8月。

ここからまた新しいスタートをすることになりました。

この時はまだ、自分の将来のことなんて何も考えられず、ただ学校に行くワクワクだけを感じていました。




続く。















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