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花と朗読 制作記(9) 花びら舞う祝祭の嵐

さて、いよいよ河北家での花会である。
9月にこの場所に来た時からずっと「この場所でやらなければいけないことがある」と魂が反応していた。それが何なのかはわからない。開催日に関しても一体いつに設定されるのだろう、と傍観していた。そうしたら偶然にも新嘗祭(11月23日)の日となった。今では勤労感謝の日とされているが、本来は新穀を神前に捧げ、感謝の意を奉告した上で頂くという大切な儀式がより行われる日である。もとは冬至の日の前後にあたる陰暦11月中卯の日に執り行われたため「生命の本源たる霊的エネルギーの〈更新〉を図る」ことを意味するのだと友人は言っていた。そんな意味ある日に河北家での花会が設定されたのにも、きっと意味があったのだと思う。
杉さんが「今回は祭りにしたい!」と言っていた時から思っていたのは、杉工場はみんなでワイワイと神輿を担ぐような祭りで、河北家の方は奥宮で行われる祭祀である、ということだった。その祭祀のような花会をどう組み立てればいいのか。それで閃いたのが、河北家のご先祖である神武天皇の兄・三毛入野命の生母である宝満山の御祭神・玉依姫の御霊をお迎えにいき、床の間に祀るということだった。その様子は以前noteに記した通りである。

花会当日は、会が始まる直前に二本の虹が掛かった。ちょうど準備中で部屋の中にいたので私は見ることは出来なかったのだけれど、会場にいらしたお客様が後から写真を下さった。

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そして、河北さんが挨拶を始めると雲の隙間から西日が一直線に部屋に差し込んで,河北さんのお顔にスポットライトのように当たった。きっと、玉依姫様からの祝福だったのだろうと思っている。
その後花会は、その玉依姫の依代となった松の枝を河北家の神社から床の間にお招きするところから始まった。

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その松の枝は杉さんによって河北家のお茶の木と共に床の間に立てられた。そして、私は玉依姫が宝満山に降神された時の漢文で書かれた神話を譜にした。

後は奉納花会となる。

芳しい真っ白い泰山木の花はお客様に香りを身体に入れてもらうところから始まり、そこでは高村光太郎の「智恵子抄」より<人に>という詩を読んだ。

「いやなんです あなたのいってしまうのが」

から始まるその詩は、神に捧げるのにはやや生っぽかったかもしれないが、玉依姫自身も自分の甥っ子と結婚してしまったという、なかなかの生っぽさなのでわかって頂けるのではないかと想像した。その他に花に合わせて用意したのは中原中也の<失せし希望> <心象> <生い立ちのうた>、萩原朔太郎 <海> などでその日の花やお客様の様子に合わせて選んで読んだ。
日が暮れてからは空中で火の華を咲かせ、場を清めた後に燭台が6本立てられ、炎がゆらめく中での紅葉の立華となった。

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紅葉の立華においては結局、能の<紅葉狩>の譜をひたすら練習し、当日能管を吹いてくださる高木さんに「お客様にお聞かせしても恥ずかしくないレベルか否か」を判断して頂き、無謀にもご披露させて頂いた。2日目は杉さんの希望で、花を立てている最中に高木さんと私で<紅葉狩>を分担して長めに唄った。

そして、フィナーレはお茶の木を使った「ガンジス」。河北さんが2年前に抜いてしまったお茶の枯れ木を部屋の中央に置き、それをみんなで囲み、マントラを唱えながら大量のバラの花びらで埋め尽くした。

河北家を継ぐ決心をした河北さんは、衰退した4ヘクタールもある放置されたままの実生の在来種であるお茶の木を復活させようと必死で復興に力を入れた。
先祖が守ってきた大切なもの。しかし2年前にその全てを存続することを断念し2ヘクタールの茶畑の木を引き抜いた。

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↑下の写真が現在のものである

茶園を断念した理由は隣接果樹園の農薬が年中かかり続けること、現代の茶業界では規格外品として扱われ販路を広げきれなかったことなどにある。

茶の文化を日本に広めた僧侶・栄西は「喫茶養生記」という本の始まりに

「茶は養生なり。延齢の妙術なり。山谷之(これ)生ずれば其の地神霊なり。人倫之を採れば其の人は長命なり」

茶は養生の仙薬であり、人の寿命を延ばす妙術を備えたものである。山や谷にこの茶の木が生えれば、その地は神聖にして霊験あらたかな地であり、人がこれを採って飲めば、その人は長命を得るのである

と記している。命がけで大陸に渡った僧たちが万病に効果のあるとされる茶を我が国に伝え広めた。しかし現代の利潤追求を第一の目的とした経済活動の中で、 その先人たちの思いは蔑ろにされてしまっている。それを思うと悔しくて仕方がないと河北さんはその無念の気持ちを話してくれた。
これはお茶だけでなくあらゆることに当てはまる事柄のように思う。
品種改良され、農薬をまかれ、化学肥料によって立派に育った野菜にも、本来その野菜が持っているエネルギーは残念ながら十分に備わっていないのが現実のように思う。そういう残念な時代の中で大切なものを守り続けているのは希少であり、本当に頭が下がる。かつては豪農と言われた河北家ではあるが、その広大な農地と屋敷を今はほぼ一人で守ろうとしているのだ。それはやはり、どう頑張っても難しい・・・先人たちの「はじまりの思い」は大切に残しつつ、その時代時代によって変化しながら繋いでいくしかないのだと思った。そしてきっと、何とか現代まで繋いできた先人たちもまた、同じ悩みを抱えながらその時なりの形を取りながら「大切なもの」を繋いできたのだと思う。

だから、今回の花会のフィナーレである「ガンジス」は河北さんへのエールと同時にその「本当に大切なもの」「本当に大切なコト」の復活を願ってのものだった。それを新嘗祭という新穀を祝う日に出来たことにも、きっと意味があったのだと思う。杉さんが「ガンジス」と名付けたこと、そしてお茶の木の起源はインドのアッサム地方だという説もあるということもあり、花びらを撒きながら2つのマントラを唱えることにした。

1つはインドのグリーンターラという神のマントラ。それには「汚れをとる・病を治す」そんな意味が込められている。このコロナ禍にはダライ・ラマも世界に向けて唱えられた。そして、もう一つはシバ神のもの。シバ神は<創造>と<破壊>の神である。新たなクリエーション(=創造)は破壊のあとに湧き上がる。河北家の茶畑もきっと、<破壊>された後だからこそ<蘇る>に違いない。 そして、そのことが世界の雛形となりますように。

参加者全員と一緒に唱えたマントラ、そして色鮮やかなバラの花びらはそんな祈りと共に空中を舞った。

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花会が終わり、福岡へ向かう車の中で、今回、花会のお手伝いをして下さった方から「あの花びらが舞う中、河北家の無念を残したご先祖や、その他のもの達が喜んで天へと舞い上がっていくのを感じ裏で咽び泣いておりました。そして、そのご先祖達から『真由さんと杉さんに『本当にどうもありがとう』と伝えて欲しい』と頼まれましたのでお伝えいたします」と伝言をいただいた。
そして、数々の神事に携わっていらっしゃる森先生からも身に余るような感想を頂いた。

やってよかった!!!!本当によかった!!!!(涙)

杉さん、どうもありがとう!

そして河北さん、これからも大変だと思うけれど頑張ってください!

そして、関わって下さった皆様にも沢山の感謝を!!

そして最後に、noteを読んで下さった皆様にも応援のお願いです。
河北さんの作られている実生の在来のお茶は、日本でもほとんど残っていない希少なものです。詳しくはこちらから。ご購入もできます(^^)

こうして濃い濃い日々は終わったのですが、、、なんと!さらに続きがありました。それはまた次回に。

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