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花と朗読 制作記(5) 宝満山に玉依姫をお迎えに行く

長い長い旅路が終わった。
結局13日間福岡に滞在した。あまりに濃い時間すぎて、もはや時間という概念を超えて、あっちとこっちの間に身を置いているようなそんな期間だった。
時間って、ほんと、伸びたり縮んだりするんだよなぁ。

まずは制作記(4)の続きから。
結局、福岡に到着したその足で宝満山登山となった。
まずは河北家が守ってきた神社の一つである日吉神社にお参りにいった。
河北さんの後ろに立つ産土神様。そして、宝満山へと導いて下さる神様の座すところ。宝満山に行く前に寄らなければならなかったので、一度福岡空港に到着した後、うきは市までいった。その後、宝満山にある竈門神社で森先生やガイドをして下さる河野さんと待ち合わせ。ちょうど例大祭が終わったばかりで西高辻宮司もいらした。西高辻宮司は太宰府天満宮の宮司でもあるので、竈門神社でお会い出来たことは、とても光栄な出来事だったと思う。
皆さんにご挨拶をして、登山開始。

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一歩一歩、高さのある階段のような傾斜だったので、思ったより大変だった。
片道1時間半から2時間ぐらいと聞いていたので、先日オンエアしたNHKの「山女日記3」というドラマで登った鹿島槍に比べたら楽でしょ、と思っていたら全然違う意味で大変だった。
そして、杉さんも河北さんも「こんなことして何になるんだろう」というネガティブオーラを出しながらの登山だったので、正直、私も辛かった(涙)。
でも、そんなオーラは浴びないようにしながら(気づかないフリをしながら)登った。私だって、今回の宝満山登山が正解なのかはわからない。でも、心の奥底で「正解」だと言っている声が聞こえてくる、ような気がする。
これ、「ニッポン西遊記—古事記編—」(幻冬舎)「神社巡りをしていたエルサレムに立っていた」(幻冬舎)に書かれているチーム西遊記との旅だったら、みんなでワイワイいいながら登れたのになぁ、とアウェイ感満載で、やや弱気になる。
杉さんは腰が悪かったのでちょっと心配していたけれど、なんとか登ってくれていた。しかも、朝、お願いしていた河北家の松の木を、河北さんと一緒に採取して持ってきてくれていた。この松と共に宝満山のご神祭であり河北家のご先祖でもある玉依姫をお迎えしたかったのだ。玉依姫とは天皇家の初代にあたる神武天皇、そして河北家の先祖である神武天皇の兄・三毛入野命の生母である。そして、宝満山の竈門神社とうきは市にある賀茂神社(先に出てきた日吉神社は賀茂神社の摂社となる)の御祭神で、宝満山山頂にも祀られている。森先生のご説明によると江戸時代の大巡行の拝所を書いた史料には、頂上の中央の大岩に神武天皇、三毛入野命など玉依姫の縁の神様方も祀られ、明治以後は小祠に祀られていたという。残念ながら戦後すぐの火事の際に小祠は焼失したものと思われ、現在は見当らない。

明治初期絵図

↑「福岡県立図書館所蔵」

そして、宝満山は水分(みくまり)の神(水分神は流水の分配を司る神)が座す山としても信仰されていたので、お水が湧いているところで水を汲み、そのお水で花会当日にお客様にお出しするお茶を淹れたかった。そのために河北さんが空のペットボトルを用意してくれていた。
宝満山は太宰府の東北方に位置する。なので、鬼門除けとして山頂に真榊を立て端出縄を引いて八百万の神を祀ったのが神祭の始まりだと言われている。時は天智天皇の御代。そして、山頂のお社は東向きではなく玄界灘の方角を向いている。かつて大陸に渡る人々は船に乗る前にこの山に登り参拝した。だから海神である玉依姫が祀られているのかもしれない。
宝満山に関する詳しい歴史は森弘子先生の「宝満山歴史散歩」(葦書房)に書かれているので読んで頂けるとありがたい。

山頂付近には大きな磐座が沢山あった。竈門岩の上があまりにも気持ちよかったので、寝っ転がってみた。エネルギーが体に入ってきて、そこで眠りたかった。
朝4時起きだったし(^^;; けれど時間がなく断念。

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そこから山頂のお社まではすぐだった。宮司さんから「好きなところで参拝すればいいですよ」と言われていたので、社の裏の大きな磐座の上で参拝することにした。松と一緒に。玉依姫様と、玄界灘と、その先にある大陸に向けて。

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↑(この先は玄界灘です)

下山途中、河北さんが作られた楠森堂の在来種のお茶と、ご用意いただいたお菓子を頂いた。そして、玉依姫様の御陵といわれてもいる法城窟(福城窟)を参った。

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その後はお水を汲んで、みんなで六根清浄を唱えながら下山した。

下山した時にはすでに暗くなっていたので、明朝、河北家の神社へ松をお供えすれば良いかと思っていたのだけれど、杉さんより「今夜、神様にお泊まり頂く相応しい場所がないので、暗くなっても河北家の神社にお運びするのが良いのではないか」との提案があり、結局、その日のうちに河北家の神社にお運びすることになった。

後は花会までそこにご滞在頂くことになる。

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