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恋愛から宇宙を学ぶ

若い頃、好きな人が出来ると「その人と一つになってしまいたい」といつも思っていた。でも、お互いに肉体があるから瞬間一つになれたような感覚になっても、それは刹那の出来事で終わる。だから切ない。そっか、「切ない」は「刹那」からきているのかな。Wikiによると刹那は数字で表すと10のマイナス18乗らしい。全然ピンと来ない。でも恋をしてどんどん肉体が邪魔だと思い出してしまうと当然、現実に着地してこない。だって肉体があるっていうことが生きているっていうことだから。
うちの夫は出逢った頃、「距離をとった中で一つになる方法はないのかな」と言っていた。それから、そのことについての学びは続いている。
そう言われてみれば陰陽のマークもそれぞれの中心点は離れているけれど周りの気みたいなもので1つの円をなしている。しかもお互いの色を内包しているのだ。奥深い。つまり、この世が二元論で成り立っている限りそれぞれを持って一つの円としなければならない。残念だけど。

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そういえば知り合いが肉体のことを「地球にいるためのボディースーツ」と言っていた。確かに魂だけだったら男も女もないから混ざれる。でも地球にいる限りはこのボディースーツがないと生きられない。不自由だね。

最近の人はこの二元論を忘れてしまっているから色々と問題が生じてくるのかな?自然と化学とか、政治と宗教とか、生と死とか、あの世とこの世とか。一見違うもののように見えて実は繋がっている。互いに内包していて、時間軸を宇宙の大元まで引き戻していけば結局全てはそこから別れた同じものなのだ。ややこしいけどシンプルだね。

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