1年


父が旅立ったのはちょうど去年の今日(1/8)の
朝でした。

あっという間の1年だったな。

最後の瞬間に側にはいれなかったけれど
まだ温かい手を握る事は出来たし、
不思議なもので今でもあの時の手の感覚は残っている。
もうその時はすぐに来るかもしれないけれど、
いつかこの手の感覚は消えてしまって忘れていってしまうのかな
と思うと、かなしい。さみしい。

忘れたくなくても思い出はどんどん消えてっちゃうよ。だから覚えてるうちは大事にしなよ。

っていう大好きなドラマ 恋ノチカラ の深っちゃんのセリフがよぎる。
えぇ、セリフ覚えるくらい見まくってるんすよ。

覚えてるうちは全部大事にしよう。

去年の1月は本当に目まぐるしく色々な事が起こっていた。
だけど、きっと周りからはそんな風には全く見えずにやり過ごせてたと思う。
そりゃ近しい人は知っていたけども。
どんな事が起こっても日常は変わらずにやってきて、その日常に対応していくんだな 人は。
皆んなきっとそれぞれに何かがあって、それでもそんな事は口に出さずに生きてるんだろうな。
って身をもって感じていた日々でした。


辛い悲しい時程よく笑う。
ってのもあながち間違いじゃなかった。
外側では悲しんでるヒマなんてなくて、色々考えなくていい時間や環境がありがたかった。
よく笑ってた気がする。ナチュラルに。
内側ではこんな時でも自分は仕事して笑えるんだなって違和感みたいなのをどこかに感じたもの凄く客観的にみてる自分もいて、
考えずにいられる時間もありがたいけれど
ちゃんと悲しみと向き合う時間も必要だなとも思った。

わたしは父と特別仲が良かった訳ではない。
けど、仲が悪かった訳ではない。
野生児みたいな人でした。
周りの人は面白いオッチャンって評すけど
身内は煙たがるタイプの人でした。
とてつもなくとんでもないポジティブな人でした。(反面教師でネガティブに育ちました)
庭いじりが好きな人でした。
(残った母と娘はうまく庭いじりが出来ません)
近所の人たちに意外と愛されていた人でした。
(居なくなってわかった事でした)
孫と本気で遊んで本気でケンカする人でした。
(ケンカは引きました)
わたしの将来が心配だとデリカシーもなく言いたい事をぶつけてきて泣くような人でした。
(お互い泣きながら言い合いしたカオスな夜がありました)
格言とか教えとか…そんな教養めいたものは何もない父でした。
けれど
わたしの進路ややりたい事に対して1度も反対した事がない人でした。
何も言わないけどいつも応援してくれてる人でした。

彼が求める事は何も成し遂げてあげられず、
俗にいう
孝行したい時に親はなし。
ってやつになったのかもしれない。わたしは
あぁ…なんで生きてる間にやってあげれなかったんだろ…
って少しでも後悔の念を持って生きないといけないのかもしれない。
だけど残念ながら
わたしは、そんな娘ではなかった。

すまない。父。

あのカオスな夜にお互いの感情をぶつけた事により、わたしは父が見たかったであろう姿を見せれない事に対して申し訳ないな…
なんて思っちゃいない。
だってそう出来なかったわたしが父の娘なのだから。
きっとそれをわかった上で旅立っていったんだろうと都合良く解釈しています。
むしろ、言い合いしといて良かったわ。

父よ、わたしも年々、間違ったポジティブ思考になってきてる気がするよ。笑

1年経っても思い出すと何故だか涙はまだまだ出てくるものなんだ。と知る。
悲しいとか辛い感情は全くない。
けど涙が出るときは抗わずに泣いておこう。
今日はまぁいいよね。

これからもまぁ遠くからフラフラしながら見守っててくださいよ。

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