近郊寫眞帖 : 久地不動尊、宗隆寺
こちらの記事の続きです。
津田山を貫通して流れてくる平瀬川の光景にしばらくショックを受けていましたが、気を取り直して平瀬川トンネルの先にある久地不動尊に向かいました。
久地不動尊
例によって事前にはなにも調べずに行きました。地図で見ると境内も広そうですし、栄えている大きなお寺なのかな、と想像していました。
が、あにはからんや。
トンネル出口のすぐ上を横切った先にある、お寺へと続くまっすぐの道は津田山を登る急な坂で、しかも人っ子ひとりいません。
竹やぶがざーっと揺れる音がするだけで、とにかく静か。
こわいくらいです。
坂道の突き当たりの久地不動尊は、本堂のすぐ隣にご住職のお住まいらしき住宅が立ち、目の前には車やら自転車やらが停めてあるという、予想とは全く違う佇まいでした。
これもまた百聞は… というやつですね。
本堂前の階段の左右には、丈の低い石柱が立っていました。
背面に彫られていたのは、大正14年5月の日付と「川辺新太郎 同千代」という名前。
階段を修復したか何かで奉納されたのでしょうか、この川辺さんはあのかすみ堤の川邊氏の一族なのかな、などと考えたりしました。
帰り道とマンホール
登る時には息の切れる急な坂も、その分、下る時には見晴らしを楽しめます。
ふと足元を見ると、こんなマンホールが。
川崎市の市の花であるツツジと、市民の木である椿とをあしらってあります。
マンホールは意外と観察のしがいがありますよね。
宗隆寺
津田山を降りたら、円筒分水わきの道を溝の口に向かって歩きます。
延々歩いて246号を越え、溝の口が近づいてきた頃、あるお寺の脇を通りかかりました。
塀の上から覗いているお堂の屋根が立派な感じです。
しかも… 鬼瓦もある!(喜)
さきほどの久地不動には鬼瓦がひとつもなかったので喜びもひとしお。
しかし、道沿いには塀があるばかりで入口が見当たりません。
入ることのできないお寺なのかな? などと訳の分からないことを考えつつ(ほんと意味不明)、その場でひとしきり写真を撮りました。
仕方ない、そろそろ行くか、と先に進んだら、ちゃんと門はありました。
思いがけず、素敵なお寺(+鬼瓦)と出会い、嬉しい気持ちでお寺を後にしました。
溝の口
南武線の線路すぐ横の飲み屋街は、まだ15時台なのに、既に人で賑わっているお店もありました。
男性だったら、こういうところに気軽に立ち寄れるのだろうけれど、自分にはちょっとハードルが高いなあと思いつつ、楽しそうな立ち飲みの人たちを横目に飲み屋街を抜けました。
ということで、久地近辺の散策記事でした。
お付き合いくださりありがとうございました!
(2024.2.18)