スピリチュアルは特別じゃない
断定的なタイトルをつけましたが
その意味はそのままで
スピリチュアルって特別なことじゃないし
なんなら人間の存在そのものがそもそも不思議じゃないかい?
というようなお話です
世間で言われるスピリチュアルと、
わたしが思うスピリチュアルの違いについて
書いてみたいと思ったんです。
スピリチュアル、って今では世間に認識されてきましたが
昔は怪しくて変わった人間がしていること、みたいな偏ったイメージがありましたねぇ
それこそわたしの育った家は
宗教と言われるようなものに傾倒していた
少し変わった母親だったので免疫がありますから
余計にそう思うのかもしれませんけど
友達にも彼にも宗教の話は隠していたし
自分もスピリチュアルを認めていませんでしたからね。
そのおかげで、素朴に疑問を感じていたことに
自分なりの答えを見つけたり、
冷静な判断(冷めた視点)から
スピリチュアルと宗教の違いも
理解できたのもありますから
不幸だったとは思いません。
わたしが今ここに書きたいのは
占いや未来予測や宗教、という何かにすがるスピリチュアルではなくて
人間の存在のしくみや根源のことです
わたしの主観ですが
海外のスピリチュアルと違って
日本のスピリチュアルって独特な印象があるような。
特定な信仰がないことも理由なんでしょうけどね
教祖さんがいて、なにやら良さげなことを言って
あなたは救われますよ〜
あなたはわたしの言うこと聞いてたら人生よくなりますよ〜
って信者を作る
そこにお布施だとか、清めます、みたいなことでお金が発生する教祖ビジネス的な印象です
言い方はアレですけど
怖がらせて救ってほしい人を意図的に生み出し
依存させるから
騙し、騙される関係性や
強者、弱者っていう立場だったり
上下関係で成り立ってる感じ
開運日、風水、相性、
星の影響、統計学などから
霊や言い伝えまで
自分を知ることに
占いや統計学をひとつのエッセンスとして使うことはなるほど〜と思うことはありました
でもね、自分の可能性や未来を
誰かやなにかに明け渡したり
自分の指標がわからなくなるのは
ちょっと違うのかな〜?と思います
それが楽しい!!幸せ♡万歳!!
であれば別にいいし
そんな連鎖ならぜひ交わりたいなぁと思うんですけども
なんかね、
不平等だったり不幸せな感じの連鎖があるような
ところには
人間の本能として違和感があるじゃないですか。
自分がわからないから、誰かに教えてほしい
自分の判断に自信がない、ってなるのは
ただ自分の根源や人間のしくみを
知らないだけなので
人間の存在の根源を知れば自然と解決します
だけど
エネルギーを送ってもらったり
お布施や浄化とかしなくても
ただ知ることで悩みは解決する、だなんて
思わないですよね。
そういったビジネスもありますから、
そんなに簡単じゃないんだよ!!と言いたくなる
気持ちもわかるし。
救ってほしい人を作り出す、連鎖は確かに
存在します。
例えばひとつの例として
自分の、いつもの行動パターンが
自分の未来を創っている、ということ。
端的に言えば思い癖、考え方のクセ、というようなものがあります
つい、こうしてしまう、とか
こう捉えちゃうんだよね、って
いう部分
このような
思考のクセ、って
これは、自分のようですが自分自身ではありません
過去、「思考は現実化する」という本が流行り
自己啓発やスピリチュアル好きな方に
売れていたことがあります。
あれは、目標を持ってそれに自分の思考を合わせた
行動しよう、という意味だったと思いますが
人生を望むように生きたかったら
思考を自分でハンドリングすることが重要です。
思考をハンドリングするというのは
自分で自分だと思っている認識の捉え直し
をすることが必要なんですね
自分で自分だと認識している自分は
さっきも書いたように
実は、ただの思考グセで、自分自身とは違います
思考グセは、主観です。
主観は
この世界をどう見ているか?という
自分が捉える世界の切り取り方で
自分の価値観で
ひとつのものの見方ですね。
同じ花を見ても
その花を好きなひとと
そうでもないひとがいる
事実とは別として。
その、価値観というのは
今までに自分の体験した過去の出来事や
周りの環境という
ある意味限定的なものによって作られています、
つまり、一部分であって
全てではありません
そして、主観を通した価値観は
体験や自分のしてきたこと、でしか判断できない
したことのないことには
判断しようがないので
占いを使って知りたい、と思ったり
誰かに教えてもらいたくなる
でも実際には見えていなくても
体験や過去以外に
本質があると知ったら
どうですか?
あなたは、こんな人!みたいに
枠にはめるんじゃなく
なんでも自由に選べるしなんでも持っている。
色々な側面を持ち合わせている。それが人間の本質です。
その上で、人生を自分で組み立てるパズルのように
肉体を使ってどんなことを楽しめるのか?と
生まれた日や名前からの統計学を利用するのは面白いと思う。
同じ事実を見ても人は
この、価値観によって物事の好き嫌い、の
判断をしているし
それによって感じた現象を現実として見ています
見えている現象の源は
自分の過去からの思考のパターンです
思考のパターンは変えられます。
時々、予測もしないことが起きたりしますが
それは普段、無意識にでもしている
自分の思考のクセが形に現れた、というだけの現象
無意識とは、意識していないこと、ですから
認識はできませんしね
だから、意識的に思考を使い
ハンドリングすることで
現実がかわると
いうことです
このタイトルに書いたように
引き寄せと言われているものも
実はスピリチュアルでもなんでもなくて
引力よりも強力でごく当たり前のことなんだけど
なぜかそう思えないのも
誤解があって
願っていたら魔法がかかって
引き寄せたいものが
ベルトコンベアに乗って運ばれてきた!
引き寄せた!やった!みたいな
自分の思考を停止させた受動的なものに捉え
引き寄せという言葉が独り歩きしているからだと
思う
あれ、スピリチュアルが間違えて捉えられるから
苦手なんですよね。
なぜって
人生を自分で決められるのに、自らその権利を
明け渡しちゃう、ってことでもありますから。
気持ちはわかるけれど
わたしたちは、頼まなくても実は
現実を変えるちからがあるんです
自分で自由に選べる権利もある
誰かに認めてもらわなくても
すでに価値があり
誰かに愛されなくても
とっくのとうに愛されている
認められようとしたり
愛されようとしなくていい
ただそれだけのことなんだけど
思考のクセでついつい抵抗するんです
見たいものがあれば
そこに、意図して思考の矛先を向け
今までの思考パターンを変える。
だってそれが自分が感じたいことだから
当たり前じゃないですか。
あなたはどんな事実を見たいですか?だけで
元々はシンプルなはずです。
ややこしくしてるのは
そうしなきゃ、望みが叶わないと信じているから
なんだけど
わたしも
随分と承認欲求に悩んだり
自己肯定が低かったりややこしくしていたから
言えるわけで、、、
そういう人ほど
その、見たい事実に自分の思考を調整するだけで
なにか囚われていた(ように感じていた)ものから
自由になり、安心するはずです
だってその時が、本来の本当の自分だからです
そしてそれは、自分の感情、
が目印ですのでお忘れなく。
思考のパターンが変われば波動が変わり
行動が変わり現実が変わる、という
人間のしくみは変わりません。
棚ぼたではなく、祈るのでもなく、
ただ願うだけではない。
現実的な創造がスピリチュアルとも言える。
自分を認めるだけで自分への愛おしさが生まれる。
人間は愛し、愛されたい生き物。
そして誰よりも自分が自分に認められたい、
と思っています。
生きることへの挑戦。現実的な創造。それがスピリチュアルです。