見出し画像

丁寧な暮らしではないけれど


丁寧に暮らす
丁寧な暮らし
このふたつは似ているようで違う


丁寧に暮らす、は自分の意思。
丁寧な暮らし、は「暮らし方」が主人公。
誰かから見ての憧れだったり。素敵な暮らしや
流行ってるVlogも、Instagramも。
人の憧れを生むもの。


そんな中、異彩を放つvlogがあります。
この前の
おばあちゃんの暮らしのルーティンとか。

あれからトイレ掃除、毎日続けてますよ。
あのおばあちゃんは、「丁寧に暮らす」の代表かと。
普通のことを当たり前にしているだけなのに
美学を感じました。

丁寧な暮らし、暮らしを美しく整える、の裏側で
毎日なにかに翻弄されていたり
イライラすることが多かったり
気持ちに余裕がなかったら
丁寧な暮らしとはほど遠い。


わたしは丁寧な暮らし、はできないです。
だけど少しずつ暮らしを場面毎に切り取って
丁寧に暮らすことはできます。


どうでも良い事なんですけど、わたしの中では、
丁寧に。と
丁寧な、は似てても中身が全く違うんだよなと前から思っていまして。

自分は、丁寧な暮らしをしたいんじゃなくて
丁寧に、いつか、肉体時間が終わるまでの色々を感じて重ねていきたいんですよ。
若い頃とは感じ方も変わるから当たり前ですね。


暮らしって自分への扱いのことだなと
思います。好きなもので揃えたり、お気に入りの
道具を使って家事をするのも。
家の作りがどうとかインテリアが映えるとかより
自分のための気持ちのいい時間の集合体なんですよね。
家族やパートナーとの時間も、自分との関係性だから相手のためというより周り回って自分のため。



丁寧な暮らしは目指していないけど
丁寧に暮らす、はしていきたいし
していくと思います。


お読みくださりありがとうございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?