【中学生時代、自分の夢に向かって】〜母と私と家族の物語〜

中学校は地元の公立の中学校に進学した。

その頃、いわゆるヤンキー全盛時代。
私の行ってた学校は
特にやんちゃな先輩方がいて、
怖い所だという噂は聞いていた。

そんな事もあり、小学校6年になって、
突然、私立の中学の受験を勧められた。
しかも2学期。母の母校。


準備は全くできず、受験は失敗。

行けるとは思ってなかったけど、
なんか嫌な気分になりました、、、。

この頃には完全に喘息は完治しました。
大人になって酷くなった友人が
いたので、私はラッキーだと思います。

中学生の3年間、
部活はやりませんでした。

小学校の高学年には
音楽部、陸上部、バレー部だったのですが、

陸上もバレーも得意ではなかったし、
帰宅部にしました。

1年生の始め頃に母から
英語が好きなら、
英語科のある高校が新設されたから、
考えてみたら?と提案され、

学校見学まで参加し、行く気になって、
中学3年間はとにかく勉強を
頑張りました。

母との関係はというと、

もちろん、
喧嘩は続いてましたし、
色々あったのですが、
今ではあまり思い出せません。

何故か私のテスト準備期間中に
必ず喧嘩をふっかけられ、
邪魔をされたのですが。

理由は今でも謎ですが、
本当にやめて欲しかったし、
憎しみMAXでした(笑)

あの頃は本当に希望校に
行く事が何より楽しみで、
勉強は凄くやりがいを感じました。

今から考えると、
真面目な中学生活だったと
思います。

母の言葉の暴力は
相変わらずだったので、

私は兎に角、
正しい行い、正しい事、
優しさ、真面目さ、という事に
かなりこだわっていたと思います。

私は矛盾があってはならない。
ひどい事をいう人にはならない。

この頃から強く思っていました。

母のようにはなりたくない、と。

でも、

心の奥底では、
母に愛されたい気持ちが
いつもありました。

私の進路に関して、
母は反対もせず、かといって
良い成績をとっても褒める事も
ありませんでした。

母は父親からは学校のテストは
満点をいつも要求されていたという、
苦しかった思い出もあるので、

きっと何も言わない位しか
できなかったのかなと思います。

良い成績でも、一番でなければ
褒められないので、
いつも私は充分ではないんだと
感じていました。

楽々と良い点をとるのではなく、
いつも必死でした。

「どこまで頑張れば、
褒めてもらえるのだろう?」

そんな苦しさも感じていました。

3年間、頑張った甲斐があり、
私は希望していた高校に合格しました。

私の夢が1つ叶いました。
憧れの高校生活が始まります。

※今日はここまでです。

不思議と中学時代の母との思い出が
あまりなかったです。

憧れの高校という目標が
あったお陰かもしれません。

読んでくださる、あなた。
あなたの思い出も一緒に思い出して
もらえたら、嬉しいです。

また、更新していきます。

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